カテゴリ:地方自治( 29 )

選挙結果

 市民オンブズ運動は、政治活動とは一線を画し、特定の政党と関係をもつこともしないのが原則である。しかしながら、会員の一人ひとりの政治的な活動を制約するものではない。
 メンバーの一人である石山忠義氏が小矢部市議補選に共産党から立候補することになったときに、異例ではあるが市民オンブズ小矢部として応援しようということになったことは先に書いた。この補選には、他に女性を含め何人かが立候補準備という話もあったが、結局は自民党側は一人に候補者を絞り(無所属ということではあるが)、昔風にいえば保革の一騎打ちということになった。(同時に行われる市長選挙は保守系=自民党員の新人同士である。)
c0068917_22232260.jpg 期間中、私もなんどか選挙カーに乗って石山候補と並んで街頭演説もした。(写真のように、「街頭」というより「田園」風景が多いのがわが町の実情)。いつもながらの選挙スタイルである。
 結果は、
 石山忠義  5943票
 山本精一  13898票
で、ダブルスコアで負けたことになるが、じつは共産党の公認候補が6000票近くも取るというのは、保守王国・小矢部では前代未聞のことなのである。(過去最高は国政選挙での2000票ほどと聞いた。)
 ちなみに、この夏に行われた市議選では、定数17に18人が立候補し、最下位(17位)当選者が401.906票(同姓の候補があって按分比例の配分で端数がでる)、その上が563票。トップ当選が1859票という数字である。
 ついでに、同時に行われた市長選挙の両候補の得票をあげると、
 桜井森夫 12298票
 松尾春郎  9253票
と、こちらはかなりの接戦が予想されたが3000票の大差がついた。
 二つの選挙を通じて最高得票が山本氏ということになった。全市的には全く無名の、地区選出の農協理事という肩書きだけの人物であるが、自民党の選挙マシンが動けばこうなる。ある人に言わせると、地域の自治会組織と自民党の枝組織とを統合した、「猿でも当選させることができる」強力なシステムであるという。
c0068917_22222026.jpg しかし、先に述べたように、石山候補もじつは空前の得票をしたのである。選挙では敗れたが落ち込むところはみじんもなく、「これからも一市民としてオンブズで頑張る」と挨拶をして喝采を浴びたことであった。(左の写真は開票途中で敗北が確定した時点で挨拶をする石山候補。左は現職の共産党市議・砂田喜昭氏。後ろにオンブズ小矢部の「檄」も見える。)
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by sumiyakist | 2006-11-21 22:33 | 地方自治

原告・石山忠義氏が小矢部市議補選に立候補!

c0068917_22404355.jpg 前知事退職金返還訴訟の原告の一人、石山忠義氏が、11月19日投票の小矢部市議補選に立候補することになった。

 わが小矢部市は、今年から来年にかけては4年に1度の「政治の季節」なのである。すなわち、夏には市議選、秋には市長選、来春には県議選と、選挙が続く。(おまけにその後、7月には参院選まである。)

 11月12日告示、19日投票という日程で市長選がすでに実際上の終盤戦に入っているのであるが、そのさなか、この夏に改選されたばかりの市議が一人亡くなるという事件が突発。普通なら次点の候補者が繰り上げ当選となるのだが、法定得票に足りないため繰り上げ当選とならずに、補欠選挙が市長選に併せて行われることになった。

 さてその市議補選に、市民オンブズ小矢部のメンバーでありこの裁判の原告の一人である石山氏が共産党公認として立候補することになったのである。政党には一線を画してきたオンブズではあるが、主要メンバーの立候補となればここは応援しなければなるまいと例会での結論となった。

 じつは知る人ぞ知るなのであるが(笑)、私は前回(4年前)の市長選挙に立候補した経験がある。それ以前に市議を1期やって、我が市政のいささかお粗末な内情も知り、多選市長に対する市民の強い批判もあちこちで聞いていた。しかし、そうした反発にもかかわらず、いざ市長選挙になると対立候補が出ないという状態が何期も続いていた。

 生来の天の邪鬼精神の故か、はたまた「義を見てせざるは・・・」という軽率なる義侠心のなせる業か、自分ながら判然としないが、炭焼きさんの繁忙期である秋シーズンの全てを棒に振って市長選挙を「決行」したというわけである。

 結果は一敗地にまみれたとはいえ、多選にあぐらをかく現職に批判票の存在を明らかにしたということでそれなりの意義はあった。そして、支援してくれた市民に対するアフターサービス(!)として「市民オンブズ小矢部」を立ち上げることになり、その活動の延長線上にこの退職金返還訴訟があるというわけである。(全県的な規模での「市民オンブズ富山」は10年以上も前、小矢部市議をやっていた時期に青島弁護士らと一緒に立ち上げたのであった。)

 さいわいにして、今回の市長選挙には、件の多選市長は引退を表明し、立派な候補者が二人も立候補することになったから、私としては出る幕はなく、高見の見物を決め込んでいればいいことになっていた。そのぶん、「憲法をまもる小矢部の会」を立ち上げたり、教育基本法の危機的な状況に対して県内での運動に精力を注ぐことができた。おまけに、この選挙期間中に友人の「浪速の唄う巨人パギやん」こと趙博(チョウ・バク)の北陸ツアーの世話をする余裕さえあったのである。

 それが、突然の石山氏の立候補である。気を取り直して選挙の応援に取り組まねばならないか、と慌てているこの頃である。(上の写真は坂本ひろし氏のブログから借用)。
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by sumiyakist | 2006-11-09 05:39 | 地方自治

国民監査制度

c0068917_17431131.jpg 4月26日の参議院・行革特別委の中継をたまたま見ていたら、質問者の最後に荒井広幸氏が立った。郵政民営化に対して、対案を示しながら最も理路整然と反対した議員であり、その後、自民党を出て新党日本の結成に参加し幹事長になっている人物である。

 氏が質問の2点目になかなか面白いことを言った。地方自治法にある住民監査制度を国レベルでも作ったらどうかというのである。つまり、自治体行政に対する住民の直接請求にならって、税の使い途に関して不正・不当を発見したら国民はだれでも会計検査院に対して「監査請求」が出来るようにしたらどうか、というものである。

 荒井氏の主張するような国に対する直接請求制度が出来れば当然、その次の段階として(住民訴訟を前置して住民訴訟が行われるように)「国民訴訟制度」が導かれることになるだろう。これはこれで面白い制度だと思う。

 しかし、私はむしろ、現行の住民監査制度が次第に骨抜きにされ、住民にとって使いにくて行政にとって無害なもの、そして実効性のないものに次第に変質させられてゆくことを心配している。(自治体の代わりに<代位して>直接的に返還請求をすることが出来なくなったことは、地方自治法改悪ですでに述べた)。

 それはともかく、荒井氏の主張に対する小泉首相の答弁は、例によってまともに答えずにすれ違いに終わってしまったのであるが、以下に議事録のその部分を転載しておくのでご関心の向きはお読みいただきたい。

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by sumiyakist | 2006-05-07 15:08 | 地方自治

まちの福祉しらべ隊

「週刊金曜日」3/24号で、新藤宗幸氏が行革の歴史をさかのぼって検証しているが、そのなかで行革の始まりともいうべき「土光臨調」(第二臨調)の骨子は、
1.政府規制の緩和
2.政府公社の解体・民営化
3.地方への(財政の)移転支出の削減
だといっている(それぞれについて具体的な例がいくつもあげられているが今は省略)。そして、
「小泉純一郎政権の五年間は、土光臨調の答申とそれを実現していった中曽根政権の『集大成』といってよいかもしれない。」
いい、締めくくりとして次のように述べている。
「『小さい政府』の名のもとに政治が市場原理の追求に傾斜するとき、人間間の連帯が希薄となるばかりか、社会の創造力が限りなく衰退してしまう。」
 実際その通りだと思う。
 保守王国中の保守王国(ディープ・サウスならぬディープ・トヤマ)で、いくつかの市民運動にかかわっているが、そのひとつに「まちの福祉しらべ隊」というのがあって、市民(納税者にして消費者)の目で身の回りの福祉施設や施策そのものを調べてみるという活動を6〜7年も続けている。
 一つの調査が終わると、調査報告書を出したり、行政へ提言をしたりして来たのであるが、小泉改革という名の「新自由種主義政策」によって、財政の社会福祉関連支出そのものが(先進国のなかでも少ない方なのに、さらに)減らされている時に、そして、地方への支出もどんどん減らされている時に、細かいことで改良の提案を一生懸命考えてみても虚しい気がするこのごろである。
 もっと大きな政治構造を変えなくては徒労に終わるのではないか? あるいは、「窮乏化理論」じゃないが、落ちるだけ落ちるに任せて「貧民の蜂起」を誘導することが最良の方法なのではないか? などと考え込まざるをえない。
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by sumiyakist | 2006-03-28 21:54 | 地方自治

川崎磯信

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 「川崎さんはどうしてる?」と、たまに訊かれることがある。婦中町(いまは合併して富山市婦中町)の元ヤミ米商・川崎磯信氏である。いまはまた、ヤミ米(不正規流通米)というものもなくなって、「自由米」という立派な名称を得た。で、「元」を付けた。
 一時期は「平成米騒動」の時の人であったからご記憶のかたもあろう。食糧庁に出向いて自らの食管法違反を告発せよと迫った人物である。私はたまたま、その行動や人となりを、右の写真『オラを告発しろ! ヤミ米商・川崎磯信奮戦記』(1992年・桂書房)で紹介することになり、その後も、いわば「同志的」つき合いをしてきた。
 「元気で頑張ってるよ」と私は応える。実際、今も自ら米を作り、富山の市街地に店舗を構えて米を売っている。もちろん、「役人殺し」ブランドのどぶろくも作って売っている。左の本人の写真はごく最近のものである。
 「米騒動」に関しては、食管法違反で300万円の罰金を科せられて法律上は敗北したことになる。が、しかし実際は、片田舎の新制中学卒のひとりの百姓が、戦前から続く戦時法制というべき食管法を廃止させ1万6千人の食糧庁を解体させたといっていいのである。
 「役人とケンカをするのが生き甲斐」と常々公言するとおり、その後もネタを見つけては行政相手に(主に裁判所という上品な場所であるが)ケンカを繰り広げてきた。
 目下は(旧)婦中町が住民投票の結果に反して、しかも、町長の専決処分という強引な手法で富山市と無理矢理合併したことにまつわる陰の部分を明るみに出すべく奮闘している。
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by sumiyakist | 2005-11-24 08:41 | 地方自治

役人の役人による役人のための

 もはや天下周知の事実であって、いまさら事新しく述べることではないかも知れないが、そうであったとしても、わが国の行政の本質が「役人の役人による役人のための行政」であることを確認してかからないと「この国のかたち」を論じることができない。
 政治家を「先生」と持ち上げ、地元利益とわずかばかりの個別利益をエサにして手なづけて、操り人形や弾丸よけとして使い、有識者や住民を取り込んで「審議会」という隠れ蓑として使う。あらゆる制度・政策は、「国民のため、住民のため」を名分とはするが、必ず役人の自己保存の仕掛けが隠されている。特殊法人や財団の旧悪は各方面から言い尽くされているが、依然として健在である。
 上は高級官僚の「渡り鳥」制度からに、下は地方官吏の共済制度まで、役人は自分たちの使いやすいように「この国のかたち」を作りあげてきた。
 厚生年金や国民年金は、加入者にとっては生活設計のプログラムであるかもしれないが、役人にとっての意味は、国民に掛け金(賭け金)と総受給金額とによって総員参加の賭博をさせることにある。せっかく掛(賭)けた金を殆ど取り返さずに早々と死んでゆくゲーマーもいるし、そこそこ儲ける受け取る人も出てくる。そのマクロ計算は年金数理に合わせて制度を手直しすればいい(そこに政治家の使い途がある)。
 その結果がどうであれ、役人たちは、年金会計という賭場を仕切って寺銭を巻き上げて自分らの自由に使うことが出来る金を生み出すことができる。わが国の年金制度が賦課方式だというのに異常に多い積立金を抱えているのはそのせいである。積立金140兆円の4割が既に腐ってしまっているといわれているが。
 大化改新から古代・中世・近世・近現代を通じて、わが国の官僚・官員・吏員制度に通底してきたものが、第二次大戦後に至ってもなお、「国民主権」とは表面のことであって、「役人主権」であり続けたのではないか。
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by sumiyakist | 2005-11-02 22:53 | 地方自治

「選良」か「選悪」か

 地方分権論議がかまびすしかった頃、分権の「受け皿論」というのが盛んに言われたことがある。ことに、中央省庁の役人達が地方分権の困難さを言うときに主張したものである。「分権してやってもいいけど、その受け皿たる地方自治体の能力がね〜」と。つまり、自治体の首長・職員・議員の能力不足を指摘する論である。
 確かに、地方自治体の首長や議員については、「この連中に権限と財源を与えたら何をしでかすか分からない」という心配には一理ある。少なくとも「あった」と思う。というのも、ちょうどそのころ、あるいきさつから、富山県の片隅にある小矢部市の市議会議員を務めたことがあり、地方行政の内実をつぶさに観察する機会を得たことがあるからである。
 人口3万5千人ほどの地方都市なのであるが、当時の議員定数は20人、うち、共産党の議員がひとり、自民党所属が18人(選挙では公認でなく無所属で出るものもいるが全員党員である)、そして私(ただ1人の純粋無所属!)、という構成である。市長も、市を含む選挙区から選出される県議会議員(当時は二人)も、もちろん自民党員。いわば、旧「社会主義国」を裏返した感じといっていい保守王国中の保守王国である。(ディープ・サウスをもじっていえばディープ・トヤマ!)
 そういう連中(と言わせてもらおう)を見ていると、確かに「受け皿論」は説得力があった。すなわち、何をしでかすか分からないと心配する中央の役人の気持ちも分からないでもない。だがしかし、私はもう少し違った点も見ていた。中央の役人は、当然なのだが、そういう首長や議員、せいぜい幹部職員しか見ることができず、彼らを見て「この連中」と言っているのである。中央省庁の役人が一般住民を見る機会はまずない。
 さて、「選良」という言葉がある。狭義には代議士を指すのであるが、広く代議制の議員を指すということもできるだろう。現今の日本の代議制選挙はとても「良を選ぶ」とは言えないのは多くの人が感じていることだ。
 私は、短い地方議員の経験(と、その後オンブズ運動のそれなども含めて)からいうのだが、一般住民の中にこそ、優れた人材は多いのであって、現在の選挙制度は何故か、そういう「良」を選ばずに「最悪を選ぶ」制度になっている。これがわが国の地方政治(国政もあまり変わらないと思うが)のナゾであり、三流政治を続けている根源である。
 そしてじつは、この「受け皿論」的状況を嘆いてみせる中央省庁の役人自身が、むしろその地方の中央依存体質を積極的に作り出し強化していたのである。いうまでもなく、自分たちの権限を維持するためにである。先の行政有機体説を蕩々と論じていた自治官僚のこと思い出していただきたい。
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by sumiyakist | 2005-10-29 20:49 | 地方自治

お詫びと訂正

 昨日の岡本全勝氏について、少しく昨日の記事を訂正をせねばならいないことが判明した。念のため、と思ってネットで検索したらば、下の顔写真(砺波JCのHP)と以下のような略歴(岡本氏のHP)を得ることができた。インターネットというのは便利なものだ。

昭和30年1月1日 奈良県明日香村生まれ
昭和48年 奈良女子大学文学部付属高校卒
昭和53年 東京大学法学部卒、自治省採用
自治省財政課、鹿児島県財政課長、自治大学校教授等を経て、
平成 4年 自治大臣秘書官
平成 6年 富山県総務部長
平成10年 内閣審議官(省庁改革本部参事官)
平成13年 総務省自治財政局交付税課長
平成14・15年度 東京大学教授(大学院総合文化研究科)併任
平成16年 総務省大臣官房総務課長

 昭和30年生まれとはいささか驚いた。なにしろ下の写真のような御髪(おぐし)であるし(当時からそうだった)、「全勝」という名前からして、てっきり昨日書いたように「先の大戦の敗色が濃くなった44年〜45年の生まれであろう」と思いこんでいたのである。このころ生まれた子には圧倒的な負け戦を挽回させたいという庶民の願望を反映して「勝利」とか「捷一」という名前が多いのである。(子どもの健康や幸せを願ってでなく、お国の戦勝を願う名前を付けるような親も哀しいものだ)。
 それにしても、私の早とちりである。お詫びする。ちなみに、岡本氏のホームページは下のとおりである。ご関心の向きはアクセスされたい。
http://homepage3.nifty.com/zenshow/

 ついでながら、最近の氏の論を瞥見するに、昨日紹介した北日本新聞社での講演とはまるで違って「遅れている官僚の意識の転換が必要」などと、のたまっておられるようだ。機会があったらいつ「行政有機体説」から転向なさったのかをお尋ねせねばなるまい。
 そして、「いま頃はどうしておられるやら」どころではなく、大臣官房総務課長という総務省の中枢におられて、出世街道まっしぐらのご様子、大慶至極である。
 
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by sumiyakist | 2005-10-04 08:13 | 地方自治

出向総務部長

 もう6、7年前になるだろうか(正確な年月日を調べる方法がないわけではないが、そうまでしなくてもいいだろう)、当時、自治省から富山県の総務部長に出向してきていた岡本全勝氏(*)が、北日本新聞社のホールで講演したことがあった。平日の夕方からという時間帯であるし、県庁と目と鼻の先にある会場だから、見るからに帰宅途中の県職員とおぼしき聴衆が多かった。(というか、ほとんどがそうじゃないかと思うくらいだった)。
 そういう、いわば内輪の感じがあるせいか、岡本氏の話もくだけたものであった。タイトルは忘れたが、地方分権がどうとかこうとかというものであったはずだ。ちょうど、介護保険制度の導入前でおおわらわの時期だったが、それを例に引いて、国・県・市町村の関係を次のような比喩で語っていたのが今も記憶に残っている。

 国(厚生省=当時)の優秀な官僚がその優れた頭を使って制度設計をいろいろ考える。末端の市町村の職員は、(そこそこの頭なんだから)余計なことを考えず、ただ国が決めたことを(丈夫な)体を使ってわき目もふらず汗を流せばいい。その中間にある県はといえば、国から来た書類を35部コピーして(当時県内にはは35市町村があった)、その上に中沖知事のハンコを押した紙を一枚ずつ乗せて、この通りやるようにと各自治体へ送るのが仕事である。

 およそそういうものであった。いわば、国=頭脳、市町村=手足、県=神経という一種の「行政有機体説」である。聴衆の多くを占めた県職員はどう思って聞いていたか知らないが、私は、自治省(当時。その後総務省になる)キャリア官僚の本音がそういうものだということを興味深く聞いた。地方の「自治」なんぞはどこにもない。こういう手合いが府県の主要ポストに出向して「国とのパイプ」役を務めているのであると知ったわけである。いまもそう大変わりはしていないだろう。
 

(*)「全勝」という名前から察するに、先の大戦の敗色が濃くなった44年〜45年の生まれであろうと思われるが、当時、市民オンブズ富山のさまざまな活動の矢面に立っていたのがこの岡本氏で、官官接待やカラ出張問題で行政側が押されてたじたじとなる場面も多く、われわれは「全勝どころか、2勝3敗ぐらいだ」と評したものである。その後、本省へ帰って交付税課長かなにかをやっていたらしいが、さて、いま頃はどうしているやら。
 
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by sumiyakist | 2005-10-03 13:50 | 地方自治