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鈴木安蔵という人

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 昨夜(4/11)、総合会館で「日本の青空」上映会の事前学習会(第2回目)があった。元富山大学教授(憲法学)の篠原巌氏が講師。氏は、静岡大学学生であった時期に鈴木安蔵教授のゼミで2年間にわたって教えを受けられた方である。(上の写真、中央が篠原巌氏)
 平日の夜ということで参加者は24〜5人であったが、鈴木安蔵という人物について、あるいは、憲法制定事情にかんする鈴木の考えかたについて、興味深い話をいろいろ聞くことが出来た。たまたまお近くに篠原氏がおられるという幸運に感謝する声がしきりであった。

 篠原氏は1940年のお生まれで、1960年、静岡大学2年生で鈴木安蔵ゼミに入られたとのことである。60年安保闘争まっただ中のことで、勉強はそっちのけであったが、新聞会にも所属して大学新聞の編集にも携わっていたことから、鈴木教授への原稿依頼と清書(教授はたいへんな「達筆」で、そのままでは印刷屋にだせなかった)を担当することになり、親しく謦咳に接せられたという。
 氏は冒頭、鈴木が静岡大学に招かれることになった事情について以下のような興味深い話をされた。
 鈴木安蔵は、京都大学治安維持法で逮捕され自主退学したのであるから大学中退のままであった。3年間の獄中で憲法、とりわけ明治憲法が制定される過程を研究し、戦後、その「明治憲法制定史」として学位論文を提出して博士号を得たのである。その鈴木が静岡大学に職を得たのは学生の要求があって、それを教授会が受け入れて教官として招聘したのであるということを新聞会の先輩学生は教えてくれたとのことである。学生の要求で教授が招かれるなどということは、今日から考えれば夢のような話であるが、戦後民主主義下のいきいきとした大学の気分が察せられるエピソードである。
 鈴木の憲法制定にかんする見解として、印象深く聞いたのは、憲法研究会として「憲法草案要綱」をまとめ上げることに大きな力となった鈴木ではあるが、1946年の衆議院議員選挙によって成立した国会で憲法を制定してしまうことには批判的であったということである。このあたりは映画では触れられていないが、鈴木としては、国民のなかから広範な憲法制定運動が起ってきて、国民的議論を経て国民投票で憲法が成立することを期待していたのだということだ。
 憲法研究会の「草案要綱」を、会員間の意見の相違を包含して「最大公約数」的なものにまとめ上げた努力は、鈴木の力によるところが大きいと思われるが、その努力も、この草案をもとにして「民主人民戦線」(鈴木の言葉)と結合して新しい憲法制定へつなげてゆきたいという鈴木の願いのゆえと考えることができる。
 (この項続く)

 
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by sumiyakist | 2008-04-12 14:09 | 憲法・教育基本法