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伝説の里の耕作放棄田

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  久利須の集落から1キロほど離れたところに、ツカダと呼ばれる田んぼがある。いや、「あった」というべきかも知れない。もう耕されなくなって10年近く。一面の茅(カヤ)の原と化している。古い山田にしては広い部類の数枚の田があるのだが、その最上段の田の現状が上の写真である。
 かつてこの田が耕作されていたときには珍しい光景を見ることができた。田んぼの真ん中に直径3〜4メートルの小島が浮かんでいるのである。まさに田んぼに塚があるのである。ツカダの呼び名はこれに由来していると思われる。上の写真で中央の向がわに黒い灌木が生えている部分である。

c0068917_2231538.jpg そばによるとこういう状態で、コンクリート製の標柱が立てられている。これは埋蔵文化財包蔵地を示すもので、そのアップ写真を下に載せる。

c0068917_2271052.jpg この塚は「比丘尼(びくに)塚」と言い伝えられ(一説に「姫塚」)、ここからさらに1キロほども上にある「俊寛塚」とならんで、久利須に伝わる俊寛伝説の主要モチーフのひとつである。しかし、いまは伝説に深入りしないでおこう。

 そういう由緒からしても村にとっては大切な田であるはずなのであるが、いまは耕すものもなく荒れ果ててしまっている。村を出ているこの田の所有者が、べつに小作料などいらないから耕作してくれないかと以前から話しておられた。
 一方で、私たちが「入植」してからやはり耕作放棄田を再開発して自家用の米作りをしていた田んぼが、だましだまし使っていた水利がついに用をなさなくなり(水源の堤も極度に浅くなり、水路も漏水が激しくなった)、しかたなく稲作を休止しているので、このツカダの復旧を考えないでもなかったのである。
 ここ数年、春になると現地を見ては「今年こそ」と決意(?)を新たにしたりするのであるが、そのたびに決意倒れになっていた。
 がむしゃらに耕作放棄田の復原に取りかかった20年余り前とは当方の体力も相当落ちているし、なによりも、ここ数年の稲作ばなれのうちに怠け心がついてしまって、当時のように、「保温折衷苗代」「枠を転がして手植え」「手刈(バインダー)とハサ掛け」という旧来型の稲作体系をやって行く自信が持てないでいるのである。おまけに、反戦だ、憲法だと下界からお呼びがかかるもので、ついついツカダの復活が遠のいていたというわけ。
 しかし、よくよく考えれば、反戦や護憲の運動をするためにこの山里へ来たわけでなし、こうしてむなしく原野に帰りつつある田に立ってみれば、たとえ一枚だけであろうと、田んぼの命を取り戻すことこそ自分のなすべきことのようにも思われる。


c0068917_2244342.jpg  幸い、この田の水源になる堤はまだ満々と水を湛えており、田からの距離も300メートルほどであるから、用水路はほとんど壊れているものの、復旧するにしても不可能ではない。今年こそは作業にとりかかろうかと、また何度目かの(笑)決意を新たにしつつある。


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 堤の堰堤から田を望んだところ。中央遠方の枯れ草色のところがツカダである。足下から水路が(ほとんど壊れているが)続いている。
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by sumiyakist | 2009-04-06 23:05 | 自然と暮らし