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GHQ案と草案要綱

 日本国憲法の成立に高野・鈴木らの憲法研究会の「草案要綱」がどれほどの影響を与えたのかというのはわれわれにとっても興味のあるところである。
 直接的には、GHQ案が出来上がる過程において、鈴木たちの草案要綱がどのように影響を与えたかということである。あるいは、その後の国会での審議における影響力も見なければならない。(GHQ案を翻訳して政府案を作り上げる過程での政府部内においては研究会の影響はほとんど及んでいないだろう)。
 篠原氏は、この草案要綱の位置づけとして、内容の直接的連関や影響よりもむしろ、GHQ側が、日本政府=松本委員会が作成した憲法改正案(1946年2月1日の毎日新聞のスクープにより世間の知ることとなった)のあまりの保守的なのを知り、正式に提示されるまでもなく拒否することとし、GHQ内部で改正案を作る決断を下すさいの有力な状況判断の材料となったことだろうと話された。すなわち、民間での憲法にかんする意識がこれほどのレベルに達しているのであるから、日本政府案など問題外として拒否してもいいと判断する根拠のひとつとはなったであろうということである。
 自らの師である鈴木をあまり持ち上げることになるのを抑制されての話だと思うが、実際は、もう少し大きな影響を与えたと考えていいのではないか。

 国会図書館のWeb展示室「日本国憲法の誕生」の資料解説では、次のように述べている。
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 憲法研究会は、1945(昭和20)年10月29日、日本文化人連盟創立準備会の折に、高野岩三郎の提案により、民間での憲法制定の準備・研究を目的として結成された。事務局を憲法史研究者の鈴木安蔵が担当し、他に杉森孝次郎、森戸辰男、岩淵辰雄等が参加した。研究会内での討議をもとに、鈴木が第一案から第三案(最終案)を作成して、12月26日に「憲法草案要綱」として、同会から内閣へ届け、記者団に発表した。また、GHQには英語の話せる杉森が持参した。同要綱の冒頭の根本原則では、「統治権ハ国民ヨリ発ス」として天皇の統治権を否定、国民主権の原則を採用する一方、天皇は「国家的儀礼ヲ司ル」として天皇制の存続を認めた。また人権規定においては、留保が付されることはなく、具体的な社会権、生存権が規定されている。
なお、この要綱には、GHQが強い関心を示し、通訳・翻訳部(ATIS)がこれを翻訳するとともに、民政局のラウエル中佐から参謀長あてに、その内容につき詳細な検討を加えた文書が提出されている。また、政治顧問部のアチソンから国務長官へも報告されている。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用終わり〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

また、上のラウエル中佐の文書についてはつぎのような解説がある。
   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用始まり〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ラウエル「私的グループによる憲法改正草案(憲法研究会案)に対する所見」1946年1月11日
GHQは、民政局のラウエルを中心として、日本国内で発表される憲法改正諸案に強い関心を寄せていた。なかでもとりわけ注目したのは憲法研究会案であり、ラウエルがこれに綿密な検討を加え、その所見をまとめたものがこの文書である。彼は、憲法研究会案の諸条項は「民主主義的で、賛成できる」とし、かつ国民主権主義や国民投票制度などの規定については「いちじるしく自由主義的」と評価している。憲法研究会案とGHQ草案との近似性は早くから指摘されていたが、1959(昭和34)年にこの文書の存在が明らかになったことで、憲法研究会案がGHQ草案作成に大きな影響を与えていたことが確認された。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用終わり〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
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by sumiyakist | 2008-04-16 16:31 | 憲法・教育基本法