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「日本の青空」小矢部上映会成功!

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 やや時期を逸してしまった感があるが、上映会の結果を報告しておこう。
 大型連休に入った4月27日(日)、映画「日本の青空」の小矢部での本上映を行った。わが市としては最大最高の施設であるクロスランドのメインホールを会場にして1日3回上映という大がかりな規模であった。
 「小矢部で1000人に観てもらおう」というのであるから、人口3万3千人ほどの市としては相当高い目標である。観る人が都合のいいようにと上映時間帯を設定したら、午前10時、午後2時、午後7時半と、3回の上映が必要だろうという判断になった。
 試写会はセレナホールという小ホールで16ミリフィルムを使って行ったが、本番は932人収容のメインホールで35ミリフィルムを使って上映するので、前日には朝からリハーサル上映。映写機やスクリーン・音響などのテストも兼ねて全編を通して上映してみるという念の入れようだった。
 さて当日、始めから終わりまで12時間を越える長丁場だから、スタッフは3回の上映に交替で受け付けや会場案内をつとめる。(上の写真は受付風景)

c0068917_874430.jpg 左は上映前に挨拶する上映会の代表・立川昭乗氏。
 映写にかんしては、会場専属の映写技師であるにもかかわらず若干の技術的拙劣さがあったり、朝の第1回目の上映に際しては、思いのほか気温が低く暖房を入れる必要があったにもかかわらず、スタッフの誰もそのことに思い至らず観客から苦言を頂戴するなどの不手際もあったが、大きなトラブルもなく3回の上映を完了した。
 入場者は3回の合計で720〜30人。チケットの総売上は当日の24枚を含めて1049枚。試写会では250人ほどの観客が来てくれたから(ダブルカウントはあるけれども)、チケット売り上げ枚数でも実人数でも1000人という目標はほぼ達成されたということだろう。

 映画の出来については多くの人が好意的な批評をしていた。会場で書いてもらったアンケートも、この種のアンケートとしては異例に高い回収率であったのは観客が映画を評価しているひとつの証左ではないかと思う。下にその結果の一部を載せる。
 
          <アンケートの集約> 部分
1 映画全体としての印象
1、面白かった 85    2、難しかった 30
3、まあ、分かりやすかった  63   4、興味が持て、役立った 45
5、憲法のことが分かった 76   6、憲法制定当時の雰囲気が分かった 97
7、知らないことが分かった 111   8、当時の関係者の努力に頭が下がった 74
9、もっと憲法のことを勉強してみたいと思った 34  10、疑問が残った 3
11、その他なんでもご記入ください 。(略)


2 印象に残る場面がありましたか
1、鈴木安蔵の苦労 115 2、鈴木俊子(鈴木安蔵夫人)の苦労 95 3、戦争の悲惨さ 42
4、憲法研究会の討論の様子 93   5、GHQ内部のやり取り 62
6、GHQと幣原内閣(松本国務大臣など)とのやり取り 76  7、特にありません 2
8、その他(具体的にお書きください。)(略)

以下略

 
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by sumiyakist | 2008-05-20 08:45 | 憲法・教育基本法

9条世界会議の意味

c0068917_923475.jpg 「9条世界会議」(左はプログラムの表紙)の主要な会議やイベントのいくつかはインターネットで中継されていたので、私も(民宿のオヤジのごとく)家の裏で竹の子を掘ったり、孫どもとボール遊びをするかたわら、時々パソコンをのぞいていた。
 定員7000人の会場に1万2000人が集まり(青島氏によると一部入れ替わった人数がカウントされているのだろうということ)、中へ入れない3000人を対象に外の公園で急遽集会を行うという盛況だったらしい。
 大手メディアは、無視したか取り上げたにしてもごく小さな扱いであったが、海外31カ国からも150人の参加者を迎えての会議は内容においても非常に充実したものであり、世界の平和運動においてひとつの時期を画するものだったと私は思う。「日本国憲法第9条」が、ただわが国の憲法のひとつの条文というにとどまらず、いわば、人類史上に Articl 9 として立ち現れた瞬間だからである。

 日本国憲法9条の評価としては、先行するものとして、1999年のハーグ世界平和市民会議で採択された「ハーグ平和アピール」の中の「公正な世界秩序のための10の基本原則」(注)の第1原則として日本国憲法9条が取り上げられたことや、アメリカのチャールズ・オーバービー博士が提唱してきた「9条の会」(日本の大江氏らによるそれのずっと以前から活動してきた。私も少し前に金沢で博士を迎えた集会に出たことがある)などがある。
 しかし、各国の憲法に「9条」の条文を書き込ませることによって戦争によらない国際紛争の解決をめざすという運動が、この「9条世界会議」をもって始まった意義は大きい。
 一般市民=戦争にかり出される側が、権力を行使し戦争を行う側(=統治者)に対して、権力規範の枠である憲法の条文に「戦争放棄」(戦力不保持・交戦権否認)を書き込ませるという、自覚的な運動が世界規模で始まるということである。
 いまは小さな始まりであるが、これは次第に大きな流れとなって、瞬く間に国境など越えて民衆の間にあふれ出すような予感がある。そういう時代になっているということだ。
(注)
公正な世界秩序のための10の基本原則
1. 各国議会は、日本国憲法第9条のような、政府が戦争することを禁止する決議を採択するべきである。
2. すべての国家は、国際司法裁判所の強制管轄権を無条件に認めるべきである。
3. 各国政府は、国際刑事裁判所規定を批准し、対人地雷禁止条約を実施すべきである。
4. すべての国家は、「新しい外交」を取り入れるべきである。「新しい外交」とは、政府、国際組織、市民社会のパートナーシップである。
5. 世界は人道的な危機の傍観者であることはできない。しかし、武力に訴える前にあらゆる外交手段が尽くされるべきであり、仮に武力に訴えるとしても国連の権威のもとでなされるべきである。
6. 核兵器廃絶条約の締結をめざす交渉がただちに開始されるべきである。
7. 小火器の取引は厳しく制限されるべきである。
8. 経済的権利は市民的権利と同じように重視されるべきである。
9. 平和教育は世界のあらゆる学校で必修科目であるべきである。
10. 「戦争防止地球行動(Global Action to Prevent War)」の計画が平和な世界秩序の基礎になるべきである。

 
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by sumiyakist | 2008-05-14 09:19 | 憲法・教育基本法

9条世界会議報告の集い

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 5月8日夜、富山市のサンシップという施設で「9条世界会議報告の集い」なる催しを開いた。中本昌年氏の開会の挨拶に続いて、青島明生氏がビデオを使って幕張メッセでの3日間にわたる会議の全体の流れをざっと説明(上の写真)したあと、会議に参加した人たち数人がそれぞれ出たシンポジウムやワークショップの印象などを報告した。

c0068917_8363257.jpg その後、世界会議に出席したアメリカの平和活動団体=ワシントン・ピースセンターの二人の活動家の紹介があり、映像による活動の報告や会場との質疑があった。(右がエレン・トーマス氏、隣は通訳の宮崎さゆりさん<富山市在住>。左はジェイ・マークス氏)。
 彼らの活動のテーマのひとつである「プロポジション・ワン」についての解説の日本語字幕つきDVDも持参しての世界会議出席であったようである。
「プロポジション・ワン(提議1)」とは、アメリカ合衆国憲法に核兵器廃絶条項や非戦条項を書き込ませようという「有権者イニシアチブ」(国民投票)を呼びかけるものであるそうだ。いわば、わが国のそれとは鏡像的ともいうべき「改憲運動」である。
 質疑などにあまり十分な時間を割くことができなかったが、ジェイ・マークス(若い男性)が、世界会議の感想として「9条に非常にインスパイアされた」と語ったのが印象的だった。
 
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 6日に閉会した世界会議の報告集会としては、たぶん最も早いものだろうと思う。十分なPRも出来なかったから100人足らずの参加者ではあったが、世界会議の熱気の一端に触れることができたことで開催した意義はあった。
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by sumiyakist | 2008-05-09 09:07 | 憲法・教育基本法

岡部伊都子さんのこと

c0068917_22512356.jpg 岡部伊都子さんが亡くなられた。
 昨年の暮、京都駅近くのマンションのご自宅へ収穫した大根などの野菜を持参したが、思いのほか弱っておられたので、心の中では、これでお目にかかるのは最後になるかもしれないという予感というか、覚悟のようなものを胸にドアと閉めたことを思い出す。
 岡部さんと直接お会いするようになったのは、私が京都の出版社に勤めていたことで、原稿のお願いに上がったことが機縁となった。もう30年近くも前の1980年ごろ、岡部さんの下鴨時代だった。
 その後、取材で寺社へご一緒することもあった。岡部さんはまだお元気で、自動車で回ることが多かったが、一度などはバイクに乗ってみたいとおっしゃるので後ろにお乗せして琵琶湖畔の白髭神社の石仏を取材に行ったこともあった。(さすがにこのときは親しい歴史学者のU先生からお小言を賜ったが、それも懐かしい思い出である。)そんな時の短文も含めて『みほとけ・ひと・いのち』(法蔵館・刊)というエッセイ集を作らせていただいたこともあった。
 私たち一家が富山の山村へ「入植」しようという計画を立てたときに、賛意を示してくださった一人が岡部さんだった。私が炭を焼き始めたときも興味とともに応援の文章を書いてくださったりしたし、われわれの暮らしぶりを検分にわざわざお訪ねいただいたこともあった。
 京都と富山、都市と山村、と、離れた立場になってからの方が、それ以前の著者と編集者として以上に、なにかしら同士的な連帯が出来たような気がする(ただし、岡部さんに確かめたわけではないから、私一人の思いこみかもしれないが)。
 大阪などへの行き帰りの途中に、せいぜい年に2〜3度立ち寄らせていただく程度だったが、炭(これは代金をいただいた)や野菜をとても喜んでくださった。写真は、そんな時の一枚。どういう経緯だったか珍しくツーショットでTさんに撮っていただいた。2003年ころ、出雲路松ノ下町のお宅で。
 
 岡部さん、長い間頑張っていただきありがとうございました。いまはもう、ゆっくりお休みください。
 
c0068917_7403452.jpg 写真の追加を。2000年か2001年、妻も一緒にお訪ねした時のもの。やはり旧宅の玄関前で。
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by sumiyakist | 2008-05-01 00:15 | 自然と暮らし