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9条世界会議・報告の集い

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 この連休中に幕張メッセで「9条世界会議」という催しが開かれる。ホームページにはその趣旨について次のように述べられている。(右欄のバナーからアクセスできる。)

武力によらない平和、それが「9条世界会議」のテーマです。イラク、中東、アフリカ、ヨーロッパ、アジアなど世界5大陸から、紛争地での平和活動や、武器や軍隊をなくした経験を語り合います。
紛争を対話で解決すること。軍事費を人々のために回すこと。基地をなくして環境を守ること。核のない平和なアジアをつくること。一人ひとりを大切にする持続可能な社会をつくること……。9条の考え方を世界の平和に役立てていくために私たちに何ができるのか、話し合いたいと思います。


 例年連休には、子どもたちや孫たち、親族・友人などが都会からやって来て、私は民宿のオヤジ状況になるので、残念だが参加はできない。賛同人には名を連ねたものの、どうもしっくりしない。聞いてみると分かる範囲でも富山から10人以上が参加するらしい。それなら会議の様子を参加者が報告する集会をやったらどうかとある会合で提案。大多数も乗り気で、上記のような「9条世界会議・報告の集い」というものに辿りついた。
 県内の参加者関連の別の企画で、アメリカのワシントン・ピースセンターからの参加者2人が富山へ来るということになったので、その人たちにもゲスト参加もしてもらえることになり、国際色も出ることになった。
 世界会議そのものは、どんどん企画が充実しつつあり、目標の1万人の参加は達成するだろうが、例によって大手メディアは大して報道しないだろうし、そもそも、「9条=武力によらない平和」の精神を世界に広げてゆこうとするなら、この会議の成果を日本・世界の各地に伝達する方法が考え出されなければならない。会議でもきっとその点が話し合われることだろう。
 富山の報告集会では、ビデオでの報告なども交えて、何人かの参加者が分担して世界会議の様子をレポートする予定である。
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by sumiyakist | 2008-04-21 13:29 | 憲法・教育基本法

イラク派兵違憲判決

 名古屋高裁でのイラク自衛隊派兵差止訴訟で憲法9条1項に違反するという画期的な判決が出されたことで、マスメディアからネットまでこの話題が溢れている。

 この訴訟については、私は「名ばかり原告」であったが、高岡市に住む年長の仲間の一人は殆ど毎回名古屋まで傍聴に出かけていた。青山邦夫裁判長(高岡市の出身)はじめ3人の裁判官たちが、真剣に原告側の訴えや証人の陳述を聞いてくれているのでいい感触を得ていたという。

 結審後に送られて来た原告団のニュースでも、これまでの控訴審での審理から考えて、いい判決が出そうだとの見通しが報じられていたから、おおかたの原告関係者は期待を持って判決を待っていたはずだ。

 弁護団は、青山判事が定年退職(新聞によっては依願退職というのもあり、どちらが本当か不明だが)するのはあらかじめ分かっていたから、結審の提案に応じた。つまり、青山判事に判決を書いてもらいたいという意思表示をしたわけだ。

 青山判事はそれに対して真摯に応えてくれたということだろう。しかも、形式的には国側の勝訴なので国は上告できない。控訴人(原告)側は実を取ったから当然上告しない。従って判決が確定する。青山邦夫裁判長は(たぶん)そこまで考えて判決を書いている。この手法は、小泉靖国参拝違憲訴訟での福岡高裁判決でも採られていた。

 それにしても、われわれからすれば、素直に考えるとごく当然と思える判決を書くのに、定年前か、辞職覚悟か(少なくとも昇進の遅れを覚悟するか)でなければ、政府や最高裁事務総局などの圧力をはね返せないというのは、日本の司法の腐敗の一証左ともいうべきである。

 法廷にいた人たちにとっては、実際に判決を聞くと予想以上というか、感激もひとしおであったらしい。(青山判事はすでに退職しているために代読した裁判官は、あまり気乗りしなようなぼそぼそとした朗読だったらしいが)。

 とまれ、↓「良質の裁判官と腕前のいい代理人=弁護士のめぐり合わせ」の裁判の一例。
http://sumiyakist.exblog.jp/5605269/

 かつて長沼ナイキ訴訟で自衛隊違憲判決を出した福島重雄判事も富山県出身。歴史に残る名判決を出した裁判官が二人も富山県出身というのも不思議な巡り合わせである。
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by sumiyakist | 2008-04-18 20:50 | 憲法・教育基本法

GHQ案と草案要綱

 日本国憲法の成立に高野・鈴木らの憲法研究会の「草案要綱」がどれほどの影響を与えたのかというのはわれわれにとっても興味のあるところである。
 直接的には、GHQ案が出来上がる過程において、鈴木たちの草案要綱がどのように影響を与えたかということである。あるいは、その後の国会での審議における影響力も見なければならない。(GHQ案を翻訳して政府案を作り上げる過程での政府部内においては研究会の影響はほとんど及んでいないだろう)。
 篠原氏は、この草案要綱の位置づけとして、内容の直接的連関や影響よりもむしろ、GHQ側が、日本政府=松本委員会が作成した憲法改正案(1946年2月1日の毎日新聞のスクープにより世間の知ることとなった)のあまりの保守的なのを知り、正式に提示されるまでもなく拒否することとし、GHQ内部で改正案を作る決断を下すさいの有力な状況判断の材料となったことだろうと話された。すなわち、民間での憲法にかんする意識がこれほどのレベルに達しているのであるから、日本政府案など問題外として拒否してもいいと判断する根拠のひとつとはなったであろうということである。
 自らの師である鈴木をあまり持ち上げることになるのを抑制されての話だと思うが、実際は、もう少し大きな影響を与えたと考えていいのではないか。

 国会図書館のWeb展示室「日本国憲法の誕生」の資料解説では、次のように述べている。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用始まり〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 憲法研究会は、1945(昭和20)年10月29日、日本文化人連盟創立準備会の折に、高野岩三郎の提案により、民間での憲法制定の準備・研究を目的として結成された。事務局を憲法史研究者の鈴木安蔵が担当し、他に杉森孝次郎、森戸辰男、岩淵辰雄等が参加した。研究会内での討議をもとに、鈴木が第一案から第三案(最終案)を作成して、12月26日に「憲法草案要綱」として、同会から内閣へ届け、記者団に発表した。また、GHQには英語の話せる杉森が持参した。同要綱の冒頭の根本原則では、「統治権ハ国民ヨリ発ス」として天皇の統治権を否定、国民主権の原則を採用する一方、天皇は「国家的儀礼ヲ司ル」として天皇制の存続を認めた。また人権規定においては、留保が付されることはなく、具体的な社会権、生存権が規定されている。
なお、この要綱には、GHQが強い関心を示し、通訳・翻訳部(ATIS)がこれを翻訳するとともに、民政局のラウエル中佐から参謀長あてに、その内容につき詳細な検討を加えた文書が提出されている。また、政治顧問部のアチソンから国務長官へも報告されている。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用終わり〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

また、上のラウエル中佐の文書についてはつぎのような解説がある。
   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用始まり〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ラウエル「私的グループによる憲法改正草案(憲法研究会案)に対する所見」1946年1月11日
GHQは、民政局のラウエルを中心として、日本国内で発表される憲法改正諸案に強い関心を寄せていた。なかでもとりわけ注目したのは憲法研究会案であり、ラウエルがこれに綿密な検討を加え、その所見をまとめたものがこの文書である。彼は、憲法研究会案の諸条項は「民主主義的で、賛成できる」とし、かつ国民主権主義や国民投票制度などの規定については「いちじるしく自由主義的」と評価している。憲法研究会案とGHQ草案との近似性は早くから指摘されていたが、1959(昭和34)年にこの文書の存在が明らかになったことで、憲法研究会案がGHQ草案作成に大きな影響を与えていたことが確認された。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用終わり〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
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by sumiyakist | 2008-04-16 16:31 | 憲法・教育基本法

鈴木安蔵という人

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 昨夜(4/11)、総合会館で「日本の青空」上映会の事前学習会(第2回目)があった。元富山大学教授(憲法学)の篠原巌氏が講師。氏は、静岡大学学生であった時期に鈴木安蔵教授のゼミで2年間にわたって教えを受けられた方である。(上の写真、中央が篠原巌氏)
 平日の夜ということで参加者は24〜5人であったが、鈴木安蔵という人物について、あるいは、憲法制定事情にかんする鈴木の考えかたについて、興味深い話をいろいろ聞くことが出来た。たまたまお近くに篠原氏がおられるという幸運に感謝する声がしきりであった。

 篠原氏は1940年のお生まれで、1960年、静岡大学2年生で鈴木安蔵ゼミに入られたとのことである。60年安保闘争まっただ中のことで、勉強はそっちのけであったが、新聞会にも所属して大学新聞の編集にも携わっていたことから、鈴木教授への原稿依頼と清書(教授はたいへんな「達筆」で、そのままでは印刷屋にだせなかった)を担当することになり、親しく謦咳に接せられたという。
 氏は冒頭、鈴木が静岡大学に招かれることになった事情について以下のような興味深い話をされた。
 鈴木安蔵は、京都大学治安維持法で逮捕され自主退学したのであるから大学中退のままであった。3年間の獄中で憲法、とりわけ明治憲法が制定される過程を研究し、戦後、その「明治憲法制定史」として学位論文を提出して博士号を得たのである。その鈴木が静岡大学に職を得たのは学生の要求があって、それを教授会が受け入れて教官として招聘したのであるということを新聞会の先輩学生は教えてくれたとのことである。学生の要求で教授が招かれるなどということは、今日から考えれば夢のような話であるが、戦後民主主義下のいきいきとした大学の気分が察せられるエピソードである。
 鈴木の憲法制定にかんする見解として、印象深く聞いたのは、憲法研究会として「憲法草案要綱」をまとめ上げることに大きな力となった鈴木ではあるが、1946年の衆議院議員選挙によって成立した国会で憲法を制定してしまうことには批判的であったということである。このあたりは映画では触れられていないが、鈴木としては、国民のなかから広範な憲法制定運動が起ってきて、国民的議論を経て国民投票で憲法が成立することを期待していたのだということだ。
 憲法研究会の「草案要綱」を、会員間の意見の相違を包含して「最大公約数」的なものにまとめ上げた努力は、鈴木の力によるところが大きいと思われるが、その努力も、この草案をもとにして「民主人民戦線」(鈴木の言葉)と結合して新しい憲法制定へつなげてゆきたいという鈴木の願いのゆえと考えることができる。
 (この項続く)

 
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by sumiyakist | 2008-04-12 14:09 | 憲法・教育基本法

静岡大学教授・鈴木安蔵

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「日本の青空」の主人公・鈴木安蔵の関係者が意外に近くにいることに驚いている。
 映画を観る前に事前学習をしたらどうかということになり、もと富山大学教授で憲法学がご専門の篠原巌氏に事務局で講師をお願いしたところ、なんと、篠原先生は静岡大学教授時代の鈴木安蔵氏にゼミで2年間も教えを受けていたとのことである。これは願ってもないことと、鈴木安蔵の実人物像などの話も交えて講演をしていただくことになった。
 じつは(これは以前から聞いていた)、かなり若い世代ではあるが、市民オンブズ富山の代表である青島明生弁護士も静岡大学の出身である。念のためにメールで確かめたら、
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(鈴木安蔵氏は)私が入学した頃にはおられませんでした。
 鈴木安蔵先生が後任に引っ張ってこられた丸山健先生に教わりました。
 (静大を退官されたのは)おそらく、7〜8年前の話ではなかったかと思います。
 丸山先生によれば、映画のように苦労されたので、丸山先生には「丸山君、いざというときのためにお金を貯めて貸家を持った方がいい」と言われたそうです。
                   *
とのことである。
 いわゆる「恒産なくして恒心なし」を愛弟子に諭されたのであろうが、鈴木氏自身は、恒産がなくても恒心を持つこが出来ることを身をもって示したのかもしれない。丸山健氏は後に(S.52〜57)静岡大学学長を務められた。
 なににしても、4/11の事前学習会は興味深いものになるだろう。
 午後7時半から、小矢部市総合会館。地図
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by sumiyakist | 2008-04-06 22:30 | 憲法・教育基本法