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大晦日

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 12月に入ってからは雪が降らず、帰省した子どもたち、とりわけ孫たちが不満げであったが、大晦日になってわずかに積雪。孫たちは早速ソリを出して滑っている。
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 大人は手分けをしておせちを作る。私の分担はエビのつや煮・ブリの照り焼き・大根なます。昼までには上のように完成。夕方、年越しソバのためにソバを打つ。久利須村産のソバを半分混ぜる。
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by sumiyakist | 2007-12-31 22:55 | 自然と暮らし

竿納めの波止場釣り

 12月は雨ばかりだったが、暮れも押し迫って少し晴れて穏やかな日が訪れる。午前中は家の中の天井・壁のすす払い。これは年末の私の役割のひとつである。午後には、修理した釣り竿の試用がてら伏木港(高岡市)へ釣行。

 風もなくさほど寒くもなく、釣り日和。万葉埠頭には何組かの釣り人たちがめいめいに竿を出している。おおかたはチヌ(黒鯛)狙いのようである。こちらは、最初から「五目狙い」。立ち寄った釣り道具屋の話ではキスが上がっているというので、まずは修理した投げ竿で軽く投げておく。
c0068917_19261698.jpg 昔に筏に渡ってのチヌ釣りに使った、ごく柔らかい短竿で落とし込み(ふかせ)釣りも試みる。さっそくこちらに当たりがあって、ご覧のような小さなカサゴ(関西でいうガシラ)が掛かってくる。

c0068917_1928592.jpg 続いて投げ竿にもキス。ダブルで掛かってきた時もある。暗くなっても飽きない程度に当たりがあって、結局8時半頃まで埠頭にいる。この時間帯でも、チヌ狙いの釣り人が次々とやってくる。

c0068917_19285223.jpg 帰宅してまな板に並べると左のような釣果。まな板の幅は27センチ。最初に釣れたガシラと20センチ超のアコウは鍋に、アジと20センチ超のキス3尾は炭火焼き、小型のキスは天ぷら、と、それぞれの魚に最もふさわしい食べ方で食べてやる。
 写真の一番下はフグである。夏場のエサ取りとして嫌われ者であるが、こんなに大きいのを釣ったことはなかった。試しに下ろしてみたら結構大きな身(さく)が取れた。薄造りで「てっさ」とも思ったが、安全のためそぎ切りにしてキスと一緒に天ぷらで食す。

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by sumiyakist | 2007-12-28 19:36 | 自然と暮らし

さくら野の餅つき

 伐採の仕事が終わった次の日、八尾(やつお)の高齢者デイサービス施設「神通さくら野」の餅つきに出かけた。一緒に行くのは手作り家具Goy工房主のM氏、最近福祉施設などで歌のボランティアに精を出している「歌のおばさん」二人。
 「さくら野」については、その建設経過を逐一リアルタイムでブログにアップしたことがある。 その経営主体であるNPO法人「神通さくら野会」の理事長=金嶋久貴子さんは古くからの友人であり、私もその理事のひとりである。同行の3人もそれぞれに金嶋さんには縁があって、誘い合わせて餅つきに出かけることとなった。

c0068917_20423032.jpg つき手はM氏と私のほかにもう一人の男性。手返し(間の手)にはベテランのおばさんが来てくれて、あわせて10臼ほどついた。左の写真は私が金嶋さんのお母さんの手返しでついているところ。

c0068917_20432770.jpg ついた餅をさっそく小豆餡やごま餡、そしてトチ餅などで利用者さんといっしょにいただく。

c0068917_20441610.jpg マメ餅ののし餅。いまはこういう便利な樹脂製の袋があって、簡単に保存性のいいのし餅ができるということをしった。今日は昼食のメインもお雑煮である。

 午後からは「歌のおばさん」二人が懐かしいわらべ歌や唱歌を歌い、利用者さんも職員もボランティアもいっしょになって歌って楽しみました。

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 さくら野は開設して丸2年が過ぎ、どうにか経営も軌道に乗ってきて、公的・私的な借入金の返済も始めることができた。とはいうものの、職員の給与はお世辞にも仕事に見あうものとはいえない。
 笛や太鼓でもてはやして事業をやらせておいて、立ち上げた途端に介護報酬を2度にわたって引き下げるという、「2階に上げてハシゴを外す」ような厚労省の役人の策略によって、多くの民間施設やNPOは苦しんでいる。
 結局、施設長はもちろん、スタッフの人件費を下げるしか方法はない。介護事業に携わるひとの熱意につけ込んで介護制度を取り繕い維持させようという役人の根性には腹立たしい思いしかない。

「NPOは生かさぬように殺さぬように」か・・・
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by sumiyakist | 2007-12-26 21:03 | 自然と暮らし

屋敷林の伐採・続き

c0068917_10512870.jpg 20メートルを越えるような大きな木は、少なくとも2回に分けて切ってクレーンで吊りながら降ろすことになる。(3つに切る場合もある)。途中切りするためには、最初に上端部にワイヤーを掛けて吊り上げておかねばならない。
 クレーンには、別々に作動する親と子の2個のフックがあるが、まずS氏が自分の腰に取り付けた胴綱という命綱を子の方のフックに掛けて高々と吊り上げられてゆく。先端近くの幹にワイヤーを回し、それを親の方のフックに掛けて木を吊り上げる状態にしておく。


c0068917_10522568.jpg 子のクレーンのワイヤーを延ばして途中で切り離す位置まで下りて、胴綱をフックからはずして木の幹に回してしっかりと体を支持する。スパイク靴の外に鉄のツメの付いた脚絆のようなもの(名前を聞きそびれた)を足の内側に装着している。足を載せる枝の無いところではこのツメを幹に突き刺して足を固定する。
 体が決まったらチェーンソー(フックに掛かっているのが見える)で切り始める。クレーンで吊り上げながらとはいえ、上の幹には太い枝が不均等についているからアンバランスになっていて、切り離したとたんに大きく振れることがある。この時が下で見ていても一番緊張する。


c0068917_10545739.jpg 途中で切り離したところ。(上の木とは別の木)。この時、伐採職人(「こびきさ」という。「木挽きさん」の転訛だろう)は、下の木の先端に取り残される。文字通り命綱である胴綱だけが頼り。切り離された方の上の木はゆっくりと旋回するクレーンに吊られてしかるべき空地まで運ばれて地上に降ろされる。
 そこからが「てもと」である私とS夫人の仕事。上半分とはいえ樹齢100年の木は下で見ている時と違って巨大である。幹はそこらの立木に負けないし、枝も腕より太い。


c0068917_10592652.jpg 再びクレーンが戻ってきて、今度は残った木の先端部分にワイヤーを掛けて親のフックで引っぱっておく。そこまで作業しておいて、「こびきさ」は子のフックに吊られてやっと地上へ下りることになる。S氏はタバコをくわえながら下りてくる。やれやれというところ。


c0068917_1184781.jpg 最後に元(下部)を切る。このように建物に接近している時には、上端をクレーンで吊りながらといっても振れたり揺れたりするのを最小限に押さえるために「こびきさ」とクレーンのオペレーターとの息が合わないといけない。


c0068917_11144742.jpg 倒した木はトラックで製材所に運ばれてゆく。
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by sumiyakist | 2007-12-24 11:19 | 自然と暮らし

屋敷林を伐る

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 しばらくぶりの更新。
 同じ山続きで、林道を15キロほど走ったところの集落=沢川(そうごう)に住むS氏から、屋敷林を伐採する時には手伝いを頼むとかねてからいわれていた。いよいよクレーン車(レッカー)の手はずも整ったので取りかかることになる。折悪しく連日の雨。一度は延期したが、次もやはり雨となり、決行となった。
 沢川は久利須よりさらに100メートルほど標高が高い。4日連続の作業の前半の2日は終日雨。時折アラレやミゾレが混じる。写真を撮るどころではなく、雨具をつけても体の芯まで冷え込む。黙々と作業。私の役割は地上に降ろされた杉の巨木の枝を切り落としたり適当なところで幹を切断することが主な仕事。もちろん、チェーンソーを使う。
 S氏とは私が「入植」する前の段階、20数年前からの付き合い。「限界集落」などという言葉がまだ言われる前であったが、とうにその状態になっていた沢川集落の数少ない壮年者として、農業と森林作業で頑張っていた。当時お互いに関心をもっていた自然農法家で『わら一本の革命』の著者・福岡正信氏を一緒に愛媛県の農場まで訪ねたりしたこともあった。
 山間地で条件の良くない田畑を耕作する傍ら林業の作業の請負もしている。下草刈りや枝打ちなど比較的容易な作業の他、器用な人だから住宅に近接した屋敷林の伐採など、難易度の高い作業などの依頼も多い。私もたまに手伝いを頼まれて、補助的な作業(てもと)をすることがある。
 それが、今度は自宅の周りの屋敷林を伐ることにしたというのである。沢川集落でも旧家に数えられる家であるから、多くの木が樹齢100年を越える杉であり、全部で20本以上ある。上の写真のように巨木というべきものもある。(最後の一本を切るS氏)
 こんなに大木でしかも家屋に接近しているととても切り倒す訳にはいかない。そこでレッカーと呼ばれるクレーン車の登場となる。

c0068917_22101017.jpg レッカーは腕を伸ばすと30メートルにも達するものである。(以下明日に)
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by sumiyakist | 2007-12-23 23:19 | 自然と暮らし

いぶりがっこ・続き

c0068917_158262.jpg  カマに火を入れてからちょうど丸3日が過ぎて4日目の朝8時頃、カマの様子を見に行くと、煙の温度が170度になっている。木酢採取を止める温度である。これ以上になるとベンツピレンという発ガン性のおそれがある物質が出てくるとかで、炭焼きさんの「自主規制」で、木酢採取を止めることになっている。「いぶりがっこ」用の大根についても同様だろうから、竿からはずして持ち帰る。


 c0068917_15165920.jpg しなびて薄汚れて、葉っぱはすっかり茶色のワカメのようになり、お世辞にも美味そうにみえない。こうして軒先においてあるだけで酸っぱいような煙たいような臭いが家の中まで漂ってくる。これからは普通に干した大根と同じにタクアンの糠床つけ込む(糠は無農薬米を精米した時のもの)。さて、うまく出来るだろうか。

 肝心のカマの方は順調な進行であり、このままゆけば今夜遅くに最終行程であるムシかけをすることになりそうだ。
 
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by sumiyakist | 2007-12-09 15:30 | 自然と暮らし

いぶりがっこ

c0068917_18404979.jpg 朝からカマに火を入れた。これが今年最後になる。例によって発電機と扇風機を使って送風しながらの口焚きだから、1時間もすると火勢は上がる。いぶりがっこ(燻製タクアン)を作るために、10日ほど干した大根を20本ばかりカマの煙突近くに吊す。


c0068917_18471029.jpg 煙突のあたりを写すと左のようになる。木酢採取のフード(まだ機能していない)の後ろにぶら下がっているのが大根である。臨時に小屋の内部に竿を渡して吊してある。


c0068917_1850912.jpg 裏から撮った写真。もうもうと煙が出ているように見えるが、まだ水蒸気が多く、燻すところまではいかない。午前8時から午後3時ごろまで口焚き。5センチ×10センチ程度の通風口と排煙口だけを残して焚き口も煙突も塞いで今日の作業は終了。

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by sumiyakist | 2007-12-06 18:58 | 自然と暮らし

大根・ダイコン

 夏の総菜の主役はラタトゥイユだった。ほとんど途切れることなく、毎週のように作っていた。ズッキーニをはじめ、トマト・ピーマン・ナス・玉ネギ・ニンニクと2〜3のハーブ類はいつも畑や棚にあって、セロリだけ買って来ればいつでも作ることができた。スープやパスタやカレーに変化させるのも簡単だからラタトゥイユはわが家の便利な常備菜だった。
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 冬の食材の主役のひとつは大根だろう。今年もどうやら収穫できるようになった。夏の終わり頃に畑に蒔いたケシ粒ほどの種が、3ヶ月でこんなに大きな大根になるというのは、不思議な気がする。
c0068917_1643646.jpg ブリのアラを買ってきてブリ大根を作ってみた。ユズは久利須村でただ一本だけ育てているS氏からのもらい物。今年は豊作らしい。

c0068917_1662316.jpg 正式なレシピに従ってふろふき大根も作ってみた。大根そのものの味を確認するにはこれが一番か。

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 タクアン用に作った品種は、今年はなぜか曲がりが大きい。昨年、試しに炭窯の煙でいぶして「いぶりがっこ」を作ってみたら、ずっと以前に、山形の知り合いの篤農家が作った本場の「いぶりがっこ」には及ばないものの、そこそこ雰囲気は出ていた。ことしもある程度干してから何本かを炭焼き小屋へ運んで最後の火入れの際にいぶしてみようと思っている。
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by sumiyakist | 2007-12-01 16:41 | 自然と暮らし