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また行政訴訟!

 前知事退職金裁判の控訴審判決の翌日の3月27日、またまた石井富山県知事を相手に行政訴訟を提起することになった。

 中沖豊氏の後を襲って富山県知事となった石井隆一氏は、富山空港からの上海への定期便を就航させることに成功したのであるが(正真正銘の手柄であるのかどうか、いろんなことを言う人もいるが、いまは評価に立ち入らない)、その就航を祝って平成17年11月20日〜24日に、石井氏自らが団長になり、県議会議長をはじめとする県の政財界人など26人を団員として「富山ー上海線就航記念富山県友好訪問団」の派遣を行った。

 この事業は、「上海便を育て発展させる会」なる「傀儡(トンネル)組織」に補助金を支出して委託した形をとったのであるが、実際はもちろん、県の職員が采配をしている。総額は、決算で1730万円あまりかかったのであるが、問題はこの訪問団の交通費宿泊費などの金額である。

 県出入りの旅行業者(株)ニュージャパントラベルに委託された経費のうち、宿泊費は、知事・議長は一泊5万円、団員は3万円という金額であった。当初の仕様書では全員一泊2万円で積算されていたから、この実績はべらぼうに高額といえる。(県の旅費支給条例では、この場合、知事らは1万7400円である。)

 市民オンブズ富山では、6人のメンバーが請求人となって、これらの点について昨年末に県の監査委員に監査請求を行っていたが、本年の2月23日に例によって、県側の意見聴取に終始した監査結果をもって却下の結論を出してきたのである。

 それを受けての住民訴訟というわけである。訴状を載せるのは煩瑣になるので、いまは控える。請求の趣旨は、割高となった宿泊費の総額を100万円と計算し、その額の返還請求をするよう富山県に対して求めるものである。

 できれば市民オンブズ富山のホームページで報告するようにしたいが、差し当たって、同じく富山県を相手の、私も原告に加わっている裁判ということで速報的に取り上げてみた。
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by sumiyakist | 2007-03-30 19:46 | 地方自治

判決文

 控訴審の判決文の主要部分を掲載する。OCRソフトで読み取ったものなので、まだ校正ミスがあるかもしれない。
 これまでは裁判の文書を掲載するに際して、字詰めをいっぱいまで使っていたのであるが、先行文書の必要箇所を指示するのに「○ページ△行目」と表記することが多いので、判決文の字詰めをそのまま踏襲して、ページと行は原文ままとしておくほうが便利だということが分かった。行末のでこぼこは見苦しいが参照の便利のためということでお許しください。

         名古屋高裁金沢支部判決文

<1〜3ページ>(略)

<4ページ>
(2行略)
第3 当裁判所の判断
1 本件退職手当額の決定手続について
  原判決7頁21行目から8頁23行目までのとおり(ただし,原判決7頁2
 1行目の「によれば」を「及び弁論の全趣旨によれば」と改める。)であるか
 ら,これを引用する。
2 本件条例15条の法204条3項違反の有無         ‘
 (1)法204条は,普通地方公共団体は,その職員に対し,総料及び旅費を支
  給しなければならず(同条1項),また,条例で退職手当等の各種の手当を
  支給することができる(同条2項)とし,その給料,手当及び旅費の額並び
  にその支給方法は,条例でこれを定めなければならない(同条3項)と規定
  し,法204条の2は,普通地方公共団体は,その職員に対し,いかなる給
  与その他の給付も法律又はこれに基づく条例に基かずに支給することができ
  ないと規定し,あいまって,普通地方公共団体が職員に支給する給与等の給
  付に関する条例主義(いわゆる給与条例主義)を定めているが,この給与条
  例主義の趣旨は,①住民の代表である議会の条例制定を通じて,給与体系を
  公明化し,給与等の額等を民主的にコントロールするとともに,②勤労者で
  ある職員に対し,憲法28条が勤労者に対して保障する団体行動権の一部を
  制限する代償として,給与等を権利として保障することにあると解される。
(2)ところで,本件条例(乙1)は,2条1項において,富山県職員(地方公
  営企業法(昭和27年法律第292号)15条1項に規定する企業職員を除
  く。)のうち,常時勤務に服することを要する者(以下「常勤職員」とい
  う。)に退職手当を支給する旨規定し,3条以下において,常勤職員に支給
  する退職手当の額を算出するために必要な事項等を定める一方,常勤職員に
 含まれる知事,副知事及び出納長(以下「知事等」という。)の特別職に対
<5ページ>
 して支給すべき退職手当の額について,その15条において,「知事,副知
 事及び出納長の在職期間に対する退職手当の額は,この条例の規定にかかわ
 らず,議会で議決する額とすることができる。」と規定しているから,本件
 条例は,知事等の特別職の退職手当の額について,他の常勤職員と同様,3
 条以下の規定に従って算出される額とすることを原則としながらも,知事等
 の特別職の地位及び職責の特殊性及び重大性を考慮して,本件条例15条に
 より議会で議決された場合にはこれによることとしているものと解される。
 そして,本件条例には,同条に基づき知事等の特別職の退職手当の額を議会
 で議決する場合において,議会が議決の際に由るべき基準等に関して何ら定
 めるところがないから,その額をどのような額とするかは全面的に議会に一
 任しているものということができる。したがって,知事等の特別職の退職手
 当の額が本件条例15条により議会の議決により定まる場合には,その額を
 条例の規定そのものから直接に確定することができないことは明らかである。
  そうすると,知事等の特別職の退職手当の額を議会の議決により定めるも
 のとして,全面的にその決定を議会の義決に一任する内容の本件条例15条
 は,普通地方公共団体がその職員に支給する手当の額を条例で定めるべき旨
 を規定する法204条3項の文言に適合しない面があることは否定できない。
(3)しかしながら,給与条例主義の趣旨は上記①,②のとおりであるところ,
 本件条例は,上記のとおり,知事等の特別職を含む常勤職員に対する退職手
 当額に関する原則規定を置いた上で,知事等の特別職に対する退職手当額に
 関する特則として,その15条で,その額について議会が議決した場合はそ
 れによる旨定めて,知事等の特別職に支給すべき退職手当の額の決定方法を
 明示していることに加え(したがって,本件15条による退職手当額の支給
 が法204条の2に違反するものではない。),法の規定によれば,知事等
 の特別職の退職手当の額に関して,議会が条例を制定する場合の議決方法と
 条例でこれを義会の議決事項とした場合の議決方法との間には特段の相違が
<6ページ>
 ないことを考慮すると,議会が本件条例15条に従ってその議決により知事等
 の特別職に対する退職手当の額を定めることは,実質的には,議会が知事
 等の特別職に対する退職手当の額を条例をもって定めるに等しいものという
 ことができるから,給与条例主義の趣旨①を満たすものということができる。
 そして,知事は,公選によりその地位に就任するものであって,県という普
 通地方公共団体の執行機関の立場にあるものであるから,知事に支給される
 べき退職手当の額に関しては,給与条例主義の趣旨②はそもそも当てはまら
 ない。そうすると,本件条例15条中の知事の退職手当の額に関する部分,
 すなわち,同条が,知事の退職手当について,その額を直接定めることなく,
 議会の議決により定めることができるとする部分は,法204条3項に違
 反するものとは解されないというべきである。
  もっとも,条例については,条例が公布されることにより,退職手当の額
 が住民に了知され得る状態に置かれ,住民の条例改廃請求(法74条)によ
 り,その内容を修正する余地があるのに対し,議会の議決に与る場合には,
 議案が議会に提出される前の段階でその議案の内容(退職手当の額)を住民
 が了知することはできないことになる。しかし,議会の議員は住民の選挙に
 より選出された住民の代表者であることからすれば,民主的なコントロール
 のもとで退職手当の額を決定しているものといえるのであって,上記差異を
 もって,条例により定める場合の方が,議会の議決による場合より民主的な
 コントロールが及ぶものとまではいいきれない。したがって,上記のような
 条例と議決との相違をもって,本件条例15条が給与条例主義の趣旨①を没
 却するものということはできない。
(4)控訴人らの主張について
ァ 控訴人らは,給与条例主義の趣旨は,義会による民主的統制のみではな
 く,条例改廃請求権の行使等による住民の自治体に対する民主的統制をも
 確保するところにあるとして,本件条例15条は給与条例主義に反する旨
<7ページ>
 主張する。しかし,住民の条例改廃請求の可否の差異をもって,給与条例
 主義の趣旨を没却するものとはいえないことは前記のとおりであるし,仮
 に,控訴人らが主張するとおり,住民の条例改廃請求権の行使等を重視す
 るとしても,住民は,議会の議決する額とすることができるという本件条
 例に対しても,条例改廃請求を行うなどしてその意思を反映させることが
 できたものというべきである。したがって,控訴人らの上記主張は理由が
 ない。
  なお,控訴人らは,当審においてさらに,知事の退職手当の額の決定に
 ついて,議会の議決による場合と条例による場合とでは,住民の条例改廃
 請求(法74条)による内容の修正の余地があるか否か,金額の決定に至
 るまでに住民が予め金額を知ることができるか否か,場合によっては議員
 選挙の争点となって選挙結果に基づき議会による内容の修正が行われる可
 能性があるか否かの点に差異があり,住民によるコントロールの観点から
 は重要な違いがあるから,法が各種の直接民主主義的な制度を規定してい
 る趣旨を考慮すれば,議会の議決と条例とを同視することは,給与条例主
 義に反するとともに,地方自治の本旨(憲法92条)にも反する旨主張す
 る。しかし,条例改廃請求の点については,前記のとおり,住民は,知事
 等の特別職の退職手当の額を議会の議決する額とすることができる旨規定
 する本件条例に対しても,条例改廃請求を行うなどしてその意思を反映さ
 せることができたものである。また,確かに,議会の議決による場合には,
 議案が議会に提出される前の段階でその議案の内容(退職手当の額)を住
 民が了知することはできないが,一方,個々の退職手当の支給ごとに金額
 を議会で議決することは,予め条例で定められた金額が自動的に支給され
 るのに比べ,より住民の関心を惹きやすい面もあるのであって,仮にその
 金額が不当であれば,住民が議員に働きかけたり,あるいは事後の議員選
 挙においてその点が争点となる可能性もあるのである。したがって,知事
<8ページ>
 の退職手当の額の決定を議会の議決によることが,条例による決定に比較
 して,住民によるコントロールの観点から直ちに劣るものと断定すること
 はできず,控訴人らの上記主張は採用できない。
イ 控訴人らは,給与条例主義は,少なくとも知事の場合には,議会と対抗
 関係にある知事の給与等がその都度の議会の議決によって決せられること
 はないことを定めることによって,執行機関と議決機関との抑制と均衡関
 係を図るという統治的意義を有するものであり,本件条例15条は給与条
 例主義に反する旨主張する。しかし,本件条例15条により議会が議決に
 よって知事に対する退職手当の額を定める場合と,その額の算定方式をや
 はり議会の議決により条例で定める場合とを比較しても,前者が後者に比
 して,議会の権限が過大となり,知事と議会との抑制・均衡関係が崩れる
 とまでいうことはできない。したがって,控訴人らの上記主張も理由がな
 い。
  なお,控訴人らは,当審においてさらに,本件条例によれば,議会は自
 由に知事の退職手当の金額を定めることができることになり,議会に対す
 る知事の対応に影響を与え,知事と議会との抑制・均衡関係を崩すもので
 ある旨主張する。しかし,上記1の事実によれば,本件退職手当の額は,
 有識者らによる富山県特別職退職手当検討懇話会において,中沖の知事と
 しての功績や昨今の経済状況等のほか,知事の退職手当の額の算定に関す
 も全国的な状況や富山県における従前の知事の退職手当の額の算定方法等
 も勘案した意見がまとめられ,これを受けて議会により議決されたもので
 あって,議会が上記のような諸条件を考慮しないまま金額を定めたという
 ようなものではないことも考慮すれば,議会が本件退職手当の金額を議決
 により定めることができるからといって,直ちに,知事の立場が弱体化し
 て,知事と議会との抑制・均衡関係を崩すことになるとまでいうことはで
 きず,控訴人らの上記主張も採用できない。
 ウ 控訴人らのその余の主張は,既に説示したところに照らして,いずれも
  採用できない。
<9ぺーじ>
(5)上記のとおりであって,本件条例15条中の知事の退職手当額に関する部
 分をもって法204条3項に違反するものということはできないし,他の給
 与条例主義を定める法の規定に違反するものということもできない。
  そうすると,石井が,富山県知事として,本件条例15条に基づく議会の
 議決で定められた本件退職手当額を本件条例に基づき中沖に支給したことを
 違法ということはできず,また,中沖がこれを受給することには法律上の原
 因がある。

3 結論
 以上によれば,控訴人らの請求は,その余の争点について判断するまでもな
く理由がないから,いずれも棄却すべきである。
 よって,これと同旨の原判決は相当であり,本件控訴は理由がないから,こ
れを棄却することとして,主文のとおり判決する。

  名古屋高等裁判所金沢支部第1部

   裁判長裁判官  長   門   栄   吉

     裁判官   沖   中   康   人

     裁判官   加   藤   員   祥
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by sumiyakist | 2007-03-27 22:34 | 知事退職金

控訴棄却

 今日3月26日午後、名古屋高裁金沢支部で前知事退職金裁判の判決言い渡しがあった。昨日の能登半島地震の余震もおさまらず、ニュースもまだ地震報道に時間を割いているような、いわわば「非日常」の雰囲気がある。オンブズ小矢部のメンバーも、議員は緊急に開かれた委員会に出なければならなかったり、別のメンバーも、やはり地震に伴う職場の都合で傍聴に来られなくなったりして、原告3人を含め数人だけで出かけることとなった。
 法廷の記者席も、地震報道に人員を振り向けているせいか、いつもより少なめであった。被告の県側は代理人も県職員もひとりも姿を見せなかった。(もっとも、こちらは地震のせいかどうかわからないが。)
 小さな聞き取りにくい声で読み上げる長門栄吉裁判長の判決は、「控訴棄却」であり、判決理由の朗読は省略したので数分(朗読そのものは数十秒だったかもしれない)でおわった。
 棄却は「想定内」であって、先の例会でも話し合っていたから、廊下に出て記者に問われれば、「上告するつもり」と答えて、みんなで書記官室に判決文を取りにいった。
 判決文は後ほど載せるつもりであるが、ざっと読んだ印象では、ほとんど富山地裁の判決をなぞったようなものである。
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by sumiyakist | 2007-03-26 22:06 | 知事退職金

朝日新聞はトロイの木馬か?

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 過日(3月13日)、朝日新聞に国民投票法案についての世論調査の記事(上)が出た。こういう時期に国民投票法案について世論調査をするという、それ自体を批判するわけではないが、その結果を見て驚いた人は多かったはずだ。
 富山の駅前で同じく国民投票法案への賛否を問う街頭アンケート(シール投票)を行った友人たちの報告によると、賛成23 反対74 分からない20で、圧倒的に反対が多かったという。無差別の電話アンケートと、積極的な意志による街頭でのシール投票という方法の違いも考慮しなければならないが、それにしても差が大きすぎないか。
 この「シール投票運動」を提唱し集約を行っているグループが最終結果を取りまとめて発表している。
最終投票結果(3月10日)
 それによれば、賛成は758(13%)、反対は3977(69%)、分からないが997(17%)である。
 なぜこうも大きな差が出るのか? 
 朝日新聞については(切り抜きをなんどか掲載してきたが)、その編集姿勢を批判もしてきた。(例えば「朝日新聞・ヤヌスの顔」 「アンケート」のコメント最下段。)
 だいたいがこの新聞は、体制批判の装いをしながらその批判側にすりより、事態がいよいよ最終局面になったときには、くるりと身を翻す、あるいは時によっては背後から弾を撃つということを常套的に行ってきた。つい先頃の教育基本法改悪案が成立する決定的局面でも同様であった。
 権力側から送り込まれた「トロイの木馬」とでもいうべき存在だ。政治状況が煮詰まってきた時にはとりわけ注意が必要である。
 この新聞記事が出た直後に、シール投票運動の主唱者である野田隆三郎・岡山大学名誉教授がメーリングリストに発表された批判文を引用しておく。全く同感である。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜以下引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

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by sumiyakist | 2007-03-18 18:08 | 憲法・教育基本法

イラク開戦4周年

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 3月20日はイラク戦争が始まって4年目になる。アメリカ軍によって直接殺されたイラクの人びとは、十万というオーダーで数える数値だろうが、その後の内戦状態によって巻き添えをくって死んだ人もまた、何千人にも上るだろう。米兵も3200人以上死んだという。
 そういう、不条理な死を余儀なくされた人のほかに、傷つき後遺症や障碍を抱え込まざると得なかった人びとがまた何万人も存在するだろう。

 現代世界において、わずか数人の意志によってもたらされた人災中の人災というべき災禍である。いうまでもなくその最大最悪のものがジョージ・W・ブッシュである。アメリカ国民がくだらない男を自分らの指導者に選んだおかげで、世界中がその災いを蒙ることとなった。こういう世界が自由で民主主義的だとは到底思えない。
 コイズミという、これまた人格破綻者といっていい人物の下した命令の延長で日本国航空自衛隊は、今も戦場で兵站輸送作業を行っている。いつ死者が出ても不思議ではない。(いや、すでに出ているのかも知れない。報道管制がしかれていて、情報が外には出てこないだけということもあり得る。)

c0068917_22205770.jpg 今日、17日(土)富山駅前で街頭ミニコンサートとピースウォ−クを行った。ここ数日続いている寒さの中でもとりわけ寒い日で、参加者は少なめであったが、ミュージシャンたちは元気に演奏してくれたし、こった仮装も出現したりして、催しとしては盛り上がった。

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by sumiyakist | 2007-03-17 22:34 | STOP THE KOIZUMI

いまどきの大学

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 富山大学の学生自治会が非公然化され自治会室の明け渡しをもとめられているという。
 ピースウォ−クなどの活動では学生諸君と共同で取り組むこともあるし、10年ほど前に、私が小矢部市の市議をしていて、いわゆる「市民派」の政治活動を盛り上げようとしていたころには、非常勤講師として20歳になった学生たちに地方政治の現実について講義をしてきたこともある。下の娘もここを卒業した。そんなこんなで他人ごととも思えず、気になって学生のくれたチラシなどを読んでみた。

 そもそもの発端になった新しい学生規則なるものを見て一驚した。(思い返せば、中学生の時の生徒手帳に載せられていたであろう「規則」以来、そんなものを見たことはなかったのであるが)。全29条のうち、前半は入退学や授業料など、文字通り規則であるが、後半は学生に対する強権的な管理統制になっている。

 団体の設立に学長の承認が必要であることから始まって、解散命令や外部団体への加入の承認、集会などの事前届け出と許可制、印刷物の配布や看板設置の事前承認などなど、事細かに強圧的な管理規則を定めている。読んでいるだけで息苦しくなりそうだ。
 でも、この既視感は何だろうか。そうだ、「治安維持法」に最も近い! 

 極めつけは、
第19条 学生又は団体は、本学において、特定の宗教団体及び特定の政治団体の主張の普及・助長を図る活動をしてはならない。
である。
 いまどき、憲法の思想・信条の自由に堂々と挑戦する珍しい規則といわねばならない。これには、さすがに教員の中でも批判の声をあげる人もいるらしいが、独立行政法人化以来、学長権限が強化され、どうやら教授会による自治などは昔がたりになっているらしい。
 この規則では「学問の自由」も死語になるだろう。

 末尾の条文では、学外での合宿(個人団体問わず)や旅行(同)にまで届け出を要求している。中学生に対する規則のごときである。
 かつて講義をした時には、なるほど今どきの学生には昔に比べると幼い感じを禁じ得なかったが、それにしても、「ここまでやるか!」と唸ってしまった。

 一昨日、大学構内で抗議集会をするというので出かけたところ、連帯か激励かの挨拶を求められ、憲法違反どころか「子どもの権利条約」にも違反しているぞ、とアジってしまった(笑)。
 いやはや、すさまじいまでの劣化・退化現象である。

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by sumiyakist | 2007-03-15 09:37 | 憲法・教育基本法

それでもボクはやってない

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 どういうわけか、映画だけについてブログを作っているのとか、映画の話題をよく取り上げるのとか、親類縁者には映画好きが多いのであるが、私はさほど映画が好きではない。       
 TVでタダで観られるなら、往年の話題作とか、あるいはよほど暇なときになら、寅さん映画のようなのでも観るという程度である。
 映画館では年に2〜3本も観るか観ないかというその私が、2月1日に(たまたま上映中の京都で時間があったからなのだが)「不都合な真実」を観て、ひと月経つか経たないかのうちに、また映画館に足を運ぶということは考えられないほど稀なことである。

 今日、友人夫妻と周防正行監督の「それでもボクはやってない」を観てきた。周防監督のインタヴューなどを雑誌で読んだりして、この作品は是非観ようと思っていたのである。
 私は、不当だろうと正当だろうと逮捕された経験もないし、原告になりこそすれ被告になったことなどない。まして冤罪をこうむったことなどないのであるが、日本の司法制度にはとてつもない欠陥があることはことあるごとに感じていた。
 たまたま川崎磯信氏の「ヤミ米裁判」などでかかわりが出来たり、オンブズ運動で行政訴訟にも関与することになったりして、建前の立派さとは違って、警察のいかがわしさは勿論のことであるが、裁判制度や裁判官という職業にも大いに疑問を抱くようになった。
 つい先日も富山県で、強姦などの罪で懲役3年の判決を受けて服役を終えた男性が「無実」だったことが判明したり、鹿児島県では警察の強引な捜査によって、でっち上げともいうべき選挙違反事件が作り上げられていたことが明るみに出たりしている。
 犯罪を作り上げる警察の手法もさることながら(それをすこしでも防ぐために取り調べの可視化が必要なのは当然である)、社会的エリートである司法官(検事・裁判官)の資質が、本来のあり方や社会の要請とどこかズレていることが問題だろう。
 周防監督のこの映画は、司法そのもの頽廃を事象的に取り上げており、そして、監督の視点の確かさや日本の裁判のいかがわしさはこの映画の示すとおりだと思う。しかし、その根になにがあるのかまでは描いてはいない。

 私は、「日本の裁判は腐っている」(中村修二=青色発光ダイオードの発明者)のは、近代日本が社会的エリートの選別・養成・処遇に失敗したひとつの実例だと思う。
 社会的エリートといえば、法曹の他には医者とキャリア官僚が上げられる。(学者や政治家は、衆目の認める難易度の高い資格試験を経ていないので、世間はその仲間には入れない。)これらのエリートの選別・養成・処遇は、その職業が要請するような高い規範意識なり倫理観を植え付けるようには行われてこなかった。
 簡単にいえば単なる受験秀才、世間の人間よりちょっと頭がいい(記憶力と計算力に優れている)だけで選別され、なんとなくアタマがいい人間ならそう進むべきだという「通念」に導かれるままに知らず知らずに(引き返すわけにもいかず、ましてドロップアウトも出来ず)、気がつけば裁判官や医者・キャリア官僚になっていた、というのが99.9パーセント(日本の裁判の有罪率)であろう。
 身を捨ててでもひとつの命を救いたくて医者になったとか、冤罪に泣く被告を救いたくて裁判官になったとか、世の中の人を幸せにしたくて高級官僚になったとかいう人は多分、0.1パーセント(99.9パーセントの逆に)と言っていいのではないだろうか。つまり、近代日本のエリートの1000人に999人は、人のためではなく我が身可愛さからエリートになったというべきだろう。

 もちろん、きっかけはちょっとアタマのいい人間の利己意識だったかもしれないが、そのコースに乗って進んでいるうちに「ノブレス・オブリージュ」に目覚めて、まっとうなエリートになった人間もいないではないだろう。しかし、身の回りを見回してみれば分かるだろうが、多くの社会的エリートに高い倫理意識や規範意識を求めるのは筋違いというものだ。

 周防監督には次回作で、この近代日本のエリート作りの失敗を取り上げて貰いたいものだ。
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by sumiyakist | 2007-03-02 22:09 | 知事退職金