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シンゾーのほくそ笑み

教育基本法改悪絶対反対
 同憂の士へトラックバック。(首相の姓は「安倍」)
 教育基本法改正案(新教育基本法)が12月14日に参議院特別委員会で強行採決され、15日の本会議で可決成立した。この間、富山からも何人もの人が国会前へ駆けつけた。
 私は作業の都合で家を離れることができず、審議をテレビ・ラジオとインターネット中継で見聞きしていたが、安倍首相が委員会に出席したところで、世論を偽造したタウンミーティングの「やらせ」問題についても、具体的な内容が明らかになることはなく、まして教育を論ずるのになんの深い思弁や洞察もなく、ただただ、時間稼ぎの紋切り型の答弁に終始しただけであった。
 これで、「新教育基本法」が一丁上がりとは、寒々とした情景である。

 安倍首相にすれば、元をたどれば、金正日のおかげで思いがけなくタナボタで手に入れた首相の座であるから、新教基法と交換ならば十分に引き合う取引であろう。首をかけてでも成立を図ってくるのは至極当然。もっとも「教育」を語るにふさわしからぬ人物が「教育再生」を豪語し、「新」教育基本法を成立させる。
 同時に参院本会議で成立した防衛庁の「省」昇格法案と並んで、「出来過ぎ」とほくそ笑んでいるでもあろうか。
 
 
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by sumiyakist | 2006-12-17 08:31 | 憲法・教育基本法

教育の恐ろしさ

 いわゆる戦前・戦中派といわれる人たちの書いたものや発言から、世代による戦争観の差異を通じて、教育というものの絶対的影響力というものを考えさせられることがある。例えば、敗色が濃くなった1944年〜1945年ごろを振り返って書いたものを見るとよくわかる。
 学徒動員世代(当時18〜20歳)は、この戦争の誤りを漠然とあるいは明確に知りながらも、抵抗するすべもなく理不尽な戦争に巻き込まれた自分の運命を半ば呪い、半ば諦めつつ、自分の将来には死しかないことを述べている。「わだつみ世代」である。
 一方、その上の世代(大人たち)は、もちろんごく少数の「確信的反戦論者」もいたが、圧倒的多数の大人たちは、あれよあれよという間にここに至ってしまった状況を批判的に顧みることもできず、ほとんど茫然自失といったていで、「撃ちてし止まん」とか「欲しがりません勝つまでは」とかいったスローガンを仕方なく信じた振りをして、もしかしたらそのうち神風が吹くかも知れんなどと、根拠のないはかない望みを抱いていた。
 注目すべきは、当時の「少国民」たちである。彼ら彼女らは当時小学(国民学校)生〜中学生であった。それより上の世代が、政府の戦争政策に対してに必ずしも心の底から「動員」されておらず、程度の差こそあれ、幾分かは反戦・非戦・厭戦・疑戦の気分を内心に抱いていたと対照的に、「少国民」世代の少年・少女らは、まったく無邪気に戦争賛美にのめり込んでいた。
 戦後になって活発に言論活動をするかつての「少国民」たちを思い浮かべてみればいい、例えば吉本隆明、例えば、岡部伊都子・・・。みんな皇国少年であり少女であった。それより上の世代が抱いていた(程度の差こそあれ)政府に対する疑いや不信は全くなかった。何ものちに有名人や物書きになる人物だけではない。多分、親たちや兄・姉たちと違って、「少国民」たちは真っ正直に神国日本を信じ、一筋の疑いも抱かなかったのである。
 戦争末期の沖縄においても、日本軍に対して面従腹背で対応しようとする大人たちを批判し軍に心底協力しようとしたのはこども達であった
 少国民たちとその親・兄姉たちとのこの差はなにによるのか? いうまでもなく教育である。教育が愛国少国民たちを作り出したのである。教育とは人間の思考と行動の枠組みそのものを作り出し、その檻に閉じこめるものである。教育を政治や宗教の僕にしてはならない所以である。
 さて、われわれ現在の大人たちは、かつての大人たちの轍を踏むのであるか。
 
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by sumiyakist | 2006-12-04 21:38 | 憲法・教育基本法

氷雨デモ

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 北陸はすでに冬の気配である。ここ数日冷たい時雨が続いている。いつ霰(あられ)になり霙(みぞれ)混じりになってもおかしくない雲行きである。
 国会では、防衛庁の「省昇格法案」が通りそうだとか、共謀罪がゾンビのように甦りそうだとかの情報があるし、参議院に回った教育基本法の審議は、委員の出席率なぞそっちのけで、ただただ審議時間の実績作りためのように急ピッチで特別委員会で進められている。こどもらの人生に大きな影響をもたらす法律案が、こんな粗暴なやりかたで作られていいのか、暗然たる気分になる。
 一部の新聞でははやばやと「教育基本法改正案成立へ」と予測(希望観測?)報道をしているが、もちろん、そうと決まったわけではない。国会内の勢力比だけで法案の成否が決まるなら審議もなにもいらない。教育基本法改正案審議の予定が政府与党の目論見からどんどんずれ込んで来ているのは、国会外の運動が国会の中に奔流となって流れ込んで影響を与えているからである。マスコミは全くと言っていいほどそのことに触れていない。衆議院段階でも、教基法特別委の森山委員長や与野党(とりわけ民主党の筆頭理事など)の事務所にはファックスやメールが殺到したはずである。もちろん、改正に反対だとか、採決するなとかいう内容の、である。
 12月2日(土)午後、いまにも時雨(しぐれ)が氷雨になりそうな天候のもとで、富山駅正面のCic前広場で教育基本法改悪反対富山県集会が開かれた。発言者の一人のいうように、改悪させないという熱意を表すには「絶好の天候」のなか、予想を越えて60人ほどもの人びとが集まり、カサをもちカッパを着で、教育基本法の改悪反対の熱い気持ちを訴えた街頭集会を開き、その後市街地中心部をデモ行進した。(写真は手元にないので後ほどアップする。<付記>12/4日夜にアップ)
 集会でのアピールは以下のようなものである。
                                                              
                *    
    私たちは教育基本法の改正案に反対します。

1.現行教育基本法にはなんら不都合はありません。それどころか、その理念をしっかり実現することを怠ってきたことが現在の教育に関わる深刻な諸問題を惹き起してきていると考えます。
2.一方、政府の改正案は、
1)現行の教育基本法の「個人の価値」や「自主的精神」を削除し、教育を国家(国益)中心のものへと変え、愛国心教育を強制しようとしています。そして、子どもたちの内心の自由は奪われ、教職員の思想・信条の自由は失われます。
「個人の価値」や「自主的精神」にとって替わって、「公共の精神」(国益)が強調されています。これはかつての「お国のために」といって戦争に駆りだされていった道を再びたどることです。
2)教育行政や国家権力による教育内容への介入が行われます。すなわち、現行法第十条では教育行政の役割を、「必要な諸条件の整備」に限定していますが、政府法案では、教育内容にまで介入できるようになっています。
 現行法十条の「不当な支配に服することなく」は、教育への国家権力の介入を禁止したものと解釈されていますが、政府法案第十六条では、まったく逆に、教職員や保護者の学校教育に対する働きかけや国民の批判の声などが「不当な支配」として排除され、法律さえ作れば国家は教育内容にも堂々と介入できることになります。
3)その他、
 ・教職員への管理・統制が強まる。
 ・教育行政や国家権力が家庭や地域の教育にまで介入するようになる。
 ・中央—地方間や親の経済力による教育格差が拡大し、教育の機会均等が奪われ、教育に「市場原理」が持ち込まれる。また、男女の平等を否定し、女性差別を煽ることにつながる。 
などのおそれが十分にあります。

 このように、日本国憲法の原理である「民主・平和・人権」を実現させるために生まれた現行教育基本法の理念が、政府案では180度転換させられ、国家に従い国家に奉仕する人間をつくる装置としての教育に改変されます。このような教育基本法の「改正」を認めることは絶対にできません。

最後に大きな声で言います。
「こどもはお国のためにあるんじゃない!」


                       2006年12月2日

           12・2教育基本法改悪反対富山県集会参加者一同
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by sumiyakist | 2006-12-02 22:55 | 憲法・教育基本法