カテゴリ:憲法・教育基本法( 57 )

イラク派兵違憲判決報告会

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 名古屋高裁で、自衛隊のイラク派遣に対する違憲訴訟に対して、実質上は原告側の勝訴ともいうべき違憲判決が出されたことはここでも触れた。
 判決文は、イラク派遣の実際の状況と憲法やイラク特措法の条文とを非常に丁寧に照合しつつ、明快に「違憲」を指摘し、また、憲法前文から導き出される「平和的生存権」についても具体的にその権利を認めたもので、そういう意味で画期的なものである。
 訴訟団ではこの判決をひろく一般の人たちにも広めて、司法の力を政治的・社会的な力に拡大してゆこうという方針を採り、弁護団の弁護士を派遣して各地で報告会・学習会を開いている。
 あまり熱心とはいえなかったが、私も原告の一人であったし、県内に私の知る限りでも何人かの原告がいる。先のブログにも書いたとおり、この判決を書いた青山邦夫判事(いまは退官して名城大学法科大学院教授)は高岡市の出身であるから、ここはやはり高岡市での開催を皮切りにしたいところである。何人かと相談して上のような報告会を開催することにした。

 青山元判事(と、これからは書く)の御尊父は、90歳を越えてなお自転車で檀家を回られるという浄土真宗の寺の住職を勤められる一方で、当地の平和運動・反核運動ではシンボル的(というか中心柱的)人物でもあられたらしい。私も集会で1〜2度だが、ご尊顔を拝したことがあった。昨年、100歳で亡くなられたと聞いている。
 そういうわけだから、とりわけ高岡市内には(青山判事のことは知らなくても)、御尊父・青山三雄(かずお)師の影響を受けた人は多いはずだ。そういう人たちの同窓会も兼ねて、この報告会を成功させたいものだ。
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by sumiyakist | 2008-07-24 09:36 | 憲法・教育基本法

淡川典子の憲法ゼミナール

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by sumiyakist | 2008-06-04 19:47 | 憲法・教育基本法

「日本の青空」小矢部上映会成功!

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 やや時期を逸してしまった感があるが、上映会の結果を報告しておこう。
 大型連休に入った4月27日(日)、映画「日本の青空」の小矢部での本上映を行った。わが市としては最大最高の施設であるクロスランドのメインホールを会場にして1日3回上映という大がかりな規模であった。
 「小矢部で1000人に観てもらおう」というのであるから、人口3万3千人ほどの市としては相当高い目標である。観る人が都合のいいようにと上映時間帯を設定したら、午前10時、午後2時、午後7時半と、3回の上映が必要だろうという判断になった。
 試写会はセレナホールという小ホールで16ミリフィルムを使って行ったが、本番は932人収容のメインホールで35ミリフィルムを使って上映するので、前日には朝からリハーサル上映。映写機やスクリーン・音響などのテストも兼ねて全編を通して上映してみるという念の入れようだった。
 さて当日、始めから終わりまで12時間を越える長丁場だから、スタッフは3回の上映に交替で受け付けや会場案内をつとめる。(上の写真は受付風景)

c0068917_874430.jpg 左は上映前に挨拶する上映会の代表・立川昭乗氏。
 映写にかんしては、会場専属の映写技師であるにもかかわらず若干の技術的拙劣さがあったり、朝の第1回目の上映に際しては、思いのほか気温が低く暖房を入れる必要があったにもかかわらず、スタッフの誰もそのことに思い至らず観客から苦言を頂戴するなどの不手際もあったが、大きなトラブルもなく3回の上映を完了した。
 入場者は3回の合計で720〜30人。チケットの総売上は当日の24枚を含めて1049枚。試写会では250人ほどの観客が来てくれたから(ダブルカウントはあるけれども)、チケット売り上げ枚数でも実人数でも1000人という目標はほぼ達成されたということだろう。

 映画の出来については多くの人が好意的な批評をしていた。会場で書いてもらったアンケートも、この種のアンケートとしては異例に高い回収率であったのは観客が映画を評価しているひとつの証左ではないかと思う。下にその結果の一部を載せる。
 
          <アンケートの集約> 部分
1 映画全体としての印象
1、面白かった 85    2、難しかった 30
3、まあ、分かりやすかった  63   4、興味が持て、役立った 45
5、憲法のことが分かった 76   6、憲法制定当時の雰囲気が分かった 97
7、知らないことが分かった 111   8、当時の関係者の努力に頭が下がった 74
9、もっと憲法のことを勉強してみたいと思った 34  10、疑問が残った 3
11、その他なんでもご記入ください 。(略)


2 印象に残る場面がありましたか
1、鈴木安蔵の苦労 115 2、鈴木俊子(鈴木安蔵夫人)の苦労 95 3、戦争の悲惨さ 42
4、憲法研究会の討論の様子 93   5、GHQ内部のやり取り 62
6、GHQと幣原内閣(松本国務大臣など)とのやり取り 76  7、特にありません 2
8、その他(具体的にお書きください。)(略)

以下略

 
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by sumiyakist | 2008-05-20 08:45 | 憲法・教育基本法

9条世界会議の意味

c0068917_923475.jpg 「9条世界会議」(左はプログラムの表紙)の主要な会議やイベントのいくつかはインターネットで中継されていたので、私も(民宿のオヤジのごとく)家の裏で竹の子を掘ったり、孫どもとボール遊びをするかたわら、時々パソコンをのぞいていた。
 定員7000人の会場に1万2000人が集まり(青島氏によると一部入れ替わった人数がカウントされているのだろうということ)、中へ入れない3000人を対象に外の公園で急遽集会を行うという盛況だったらしい。
 大手メディアは、無視したか取り上げたにしてもごく小さな扱いであったが、海外31カ国からも150人の参加者を迎えての会議は内容においても非常に充実したものであり、世界の平和運動においてひとつの時期を画するものだったと私は思う。「日本国憲法第9条」が、ただわが国の憲法のひとつの条文というにとどまらず、いわば、人類史上に Articl 9 として立ち現れた瞬間だからである。

 日本国憲法9条の評価としては、先行するものとして、1999年のハーグ世界平和市民会議で採択された「ハーグ平和アピール」の中の「公正な世界秩序のための10の基本原則」(注)の第1原則として日本国憲法9条が取り上げられたことや、アメリカのチャールズ・オーバービー博士が提唱してきた「9条の会」(日本の大江氏らによるそれのずっと以前から活動してきた。私も少し前に金沢で博士を迎えた集会に出たことがある)などがある。
 しかし、各国の憲法に「9条」の条文を書き込ませることによって戦争によらない国際紛争の解決をめざすという運動が、この「9条世界会議」をもって始まった意義は大きい。
 一般市民=戦争にかり出される側が、権力を行使し戦争を行う側(=統治者)に対して、権力規範の枠である憲法の条文に「戦争放棄」(戦力不保持・交戦権否認)を書き込ませるという、自覚的な運動が世界規模で始まるということである。
 いまは小さな始まりであるが、これは次第に大きな流れとなって、瞬く間に国境など越えて民衆の間にあふれ出すような予感がある。そういう時代になっているということだ。
(注)
公正な世界秩序のための10の基本原則
1. 各国議会は、日本国憲法第9条のような、政府が戦争することを禁止する決議を採択するべきである。
2. すべての国家は、国際司法裁判所の強制管轄権を無条件に認めるべきである。
3. 各国政府は、国際刑事裁判所規定を批准し、対人地雷禁止条約を実施すべきである。
4. すべての国家は、「新しい外交」を取り入れるべきである。「新しい外交」とは、政府、国際組織、市民社会のパートナーシップである。
5. 世界は人道的な危機の傍観者であることはできない。しかし、武力に訴える前にあらゆる外交手段が尽くされるべきであり、仮に武力に訴えるとしても国連の権威のもとでなされるべきである。
6. 核兵器廃絶条約の締結をめざす交渉がただちに開始されるべきである。
7. 小火器の取引は厳しく制限されるべきである。
8. 経済的権利は市民的権利と同じように重視されるべきである。
9. 平和教育は世界のあらゆる学校で必修科目であるべきである。
10. 「戦争防止地球行動(Global Action to Prevent War)」の計画が平和な世界秩序の基礎になるべきである。

 
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by sumiyakist | 2008-05-14 09:19 | 憲法・教育基本法

9条世界会議報告の集い

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 5月8日夜、富山市のサンシップという施設で「9条世界会議報告の集い」なる催しを開いた。中本昌年氏の開会の挨拶に続いて、青島明生氏がビデオを使って幕張メッセでの3日間にわたる会議の全体の流れをざっと説明(上の写真)したあと、会議に参加した人たち数人がそれぞれ出たシンポジウムやワークショップの印象などを報告した。

c0068917_8363257.jpg その後、世界会議に出席したアメリカの平和活動団体=ワシントン・ピースセンターの二人の活動家の紹介があり、映像による活動の報告や会場との質疑があった。(右がエレン・トーマス氏、隣は通訳の宮崎さゆりさん<富山市在住>。左はジェイ・マークス氏)。
 彼らの活動のテーマのひとつである「プロポジション・ワン」についての解説の日本語字幕つきDVDも持参しての世界会議出席であったようである。
「プロポジション・ワン(提議1)」とは、アメリカ合衆国憲法に核兵器廃絶条項や非戦条項を書き込ませようという「有権者イニシアチブ」(国民投票)を呼びかけるものであるそうだ。いわば、わが国のそれとは鏡像的ともいうべき「改憲運動」である。
 質疑などにあまり十分な時間を割くことができなかったが、ジェイ・マークス(若い男性)が、世界会議の感想として「9条に非常にインスパイアされた」と語ったのが印象的だった。
 
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 6日に閉会した世界会議の報告集会としては、たぶん最も早いものだろうと思う。十分なPRも出来なかったから100人足らずの参加者ではあったが、世界会議の熱気の一端に触れることができたことで開催した意義はあった。
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by sumiyakist | 2008-05-09 09:07 | 憲法・教育基本法

9条世界会議・報告の集い

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 この連休中に幕張メッセで「9条世界会議」という催しが開かれる。ホームページにはその趣旨について次のように述べられている。(右欄のバナーからアクセスできる。)

武力によらない平和、それが「9条世界会議」のテーマです。イラク、中東、アフリカ、ヨーロッパ、アジアなど世界5大陸から、紛争地での平和活動や、武器や軍隊をなくした経験を語り合います。
紛争を対話で解決すること。軍事費を人々のために回すこと。基地をなくして環境を守ること。核のない平和なアジアをつくること。一人ひとりを大切にする持続可能な社会をつくること……。9条の考え方を世界の平和に役立てていくために私たちに何ができるのか、話し合いたいと思います。


 例年連休には、子どもたちや孫たち、親族・友人などが都会からやって来て、私は民宿のオヤジ状況になるので、残念だが参加はできない。賛同人には名を連ねたものの、どうもしっくりしない。聞いてみると分かる範囲でも富山から10人以上が参加するらしい。それなら会議の様子を参加者が報告する集会をやったらどうかとある会合で提案。大多数も乗り気で、上記のような「9条世界会議・報告の集い」というものに辿りついた。
 県内の参加者関連の別の企画で、アメリカのワシントン・ピースセンターからの参加者2人が富山へ来るということになったので、その人たちにもゲスト参加もしてもらえることになり、国際色も出ることになった。
 世界会議そのものは、どんどん企画が充実しつつあり、目標の1万人の参加は達成するだろうが、例によって大手メディアは大して報道しないだろうし、そもそも、「9条=武力によらない平和」の精神を世界に広げてゆこうとするなら、この会議の成果を日本・世界の各地に伝達する方法が考え出されなければならない。会議でもきっとその点が話し合われることだろう。
 富山の報告集会では、ビデオでの報告なども交えて、何人かの参加者が分担して世界会議の様子をレポートする予定である。
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by sumiyakist | 2008-04-21 13:29 | 憲法・教育基本法

イラク派兵違憲判決

 名古屋高裁でのイラク自衛隊派兵差止訴訟で憲法9条1項に違反するという画期的な判決が出されたことで、マスメディアからネットまでこの話題が溢れている。

 この訴訟については、私は「名ばかり原告」であったが、高岡市に住む年長の仲間の一人は殆ど毎回名古屋まで傍聴に出かけていた。青山邦夫裁判長(高岡市の出身)はじめ3人の裁判官たちが、真剣に原告側の訴えや証人の陳述を聞いてくれているのでいい感触を得ていたという。

 結審後に送られて来た原告団のニュースでも、これまでの控訴審での審理から考えて、いい判決が出そうだとの見通しが報じられていたから、おおかたの原告関係者は期待を持って判決を待っていたはずだ。

 弁護団は、青山判事が定年退職(新聞によっては依願退職というのもあり、どちらが本当か不明だが)するのはあらかじめ分かっていたから、結審の提案に応じた。つまり、青山判事に判決を書いてもらいたいという意思表示をしたわけだ。

 青山判事はそれに対して真摯に応えてくれたということだろう。しかも、形式的には国側の勝訴なので国は上告できない。控訴人(原告)側は実を取ったから当然上告しない。従って判決が確定する。青山邦夫裁判長は(たぶん)そこまで考えて判決を書いている。この手法は、小泉靖国参拝違憲訴訟での福岡高裁判決でも採られていた。

 それにしても、われわれからすれば、素直に考えるとごく当然と思える判決を書くのに、定年前か、辞職覚悟か(少なくとも昇進の遅れを覚悟するか)でなければ、政府や最高裁事務総局などの圧力をはね返せないというのは、日本の司法の腐敗の一証左ともいうべきである。

 法廷にいた人たちにとっては、実際に判決を聞くと予想以上というか、感激もひとしおであったらしい。(青山判事はすでに退職しているために代読した裁判官は、あまり気乗りしなようなぼそぼそとした朗読だったらしいが)。

 とまれ、↓「良質の裁判官と腕前のいい代理人=弁護士のめぐり合わせ」の裁判の一例。
http://sumiyakist.exblog.jp/5605269/

 かつて長沼ナイキ訴訟で自衛隊違憲判決を出した福島重雄判事も富山県出身。歴史に残る名判決を出した裁判官が二人も富山県出身というのも不思議な巡り合わせである。
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by sumiyakist | 2008-04-18 20:50 | 憲法・教育基本法

GHQ案と草案要綱

 日本国憲法の成立に高野・鈴木らの憲法研究会の「草案要綱」がどれほどの影響を与えたのかというのはわれわれにとっても興味のあるところである。
 直接的には、GHQ案が出来上がる過程において、鈴木たちの草案要綱がどのように影響を与えたかということである。あるいは、その後の国会での審議における影響力も見なければならない。(GHQ案を翻訳して政府案を作り上げる過程での政府部内においては研究会の影響はほとんど及んでいないだろう)。
 篠原氏は、この草案要綱の位置づけとして、内容の直接的連関や影響よりもむしろ、GHQ側が、日本政府=松本委員会が作成した憲法改正案(1946年2月1日の毎日新聞のスクープにより世間の知ることとなった)のあまりの保守的なのを知り、正式に提示されるまでもなく拒否することとし、GHQ内部で改正案を作る決断を下すさいの有力な状況判断の材料となったことだろうと話された。すなわち、民間での憲法にかんする意識がこれほどのレベルに達しているのであるから、日本政府案など問題外として拒否してもいいと判断する根拠のひとつとはなったであろうということである。
 自らの師である鈴木をあまり持ち上げることになるのを抑制されての話だと思うが、実際は、もう少し大きな影響を与えたと考えていいのではないか。

 国会図書館のWeb展示室「日本国憲法の誕生」の資料解説では、次のように述べている。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用始まり〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 憲法研究会は、1945(昭和20)年10月29日、日本文化人連盟創立準備会の折に、高野岩三郎の提案により、民間での憲法制定の準備・研究を目的として結成された。事務局を憲法史研究者の鈴木安蔵が担当し、他に杉森孝次郎、森戸辰男、岩淵辰雄等が参加した。研究会内での討議をもとに、鈴木が第一案から第三案(最終案)を作成して、12月26日に「憲法草案要綱」として、同会から内閣へ届け、記者団に発表した。また、GHQには英語の話せる杉森が持参した。同要綱の冒頭の根本原則では、「統治権ハ国民ヨリ発ス」として天皇の統治権を否定、国民主権の原則を採用する一方、天皇は「国家的儀礼ヲ司ル」として天皇制の存続を認めた。また人権規定においては、留保が付されることはなく、具体的な社会権、生存権が規定されている。
なお、この要綱には、GHQが強い関心を示し、通訳・翻訳部(ATIS)がこれを翻訳するとともに、民政局のラウエル中佐から参謀長あてに、その内容につき詳細な検討を加えた文書が提出されている。また、政治顧問部のアチソンから国務長官へも報告されている。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用終わり〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

また、上のラウエル中佐の文書についてはつぎのような解説がある。
   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用始まり〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ラウエル「私的グループによる憲法改正草案(憲法研究会案)に対する所見」1946年1月11日
GHQは、民政局のラウエルを中心として、日本国内で発表される憲法改正諸案に強い関心を寄せていた。なかでもとりわけ注目したのは憲法研究会案であり、ラウエルがこれに綿密な検討を加え、その所見をまとめたものがこの文書である。彼は、憲法研究会案の諸条項は「民主主義的で、賛成できる」とし、かつ国民主権主義や国民投票制度などの規定については「いちじるしく自由主義的」と評価している。憲法研究会案とGHQ草案との近似性は早くから指摘されていたが、1959(昭和34)年にこの文書の存在が明らかになったことで、憲法研究会案がGHQ草案作成に大きな影響を与えていたことが確認された。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用終わり〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
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by sumiyakist | 2008-04-16 16:31 | 憲法・教育基本法

鈴木安蔵という人

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 昨夜(4/11)、総合会館で「日本の青空」上映会の事前学習会(第2回目)があった。元富山大学教授(憲法学)の篠原巌氏が講師。氏は、静岡大学学生であった時期に鈴木安蔵教授のゼミで2年間にわたって教えを受けられた方である。(上の写真、中央が篠原巌氏)
 平日の夜ということで参加者は24〜5人であったが、鈴木安蔵という人物について、あるいは、憲法制定事情にかんする鈴木の考えかたについて、興味深い話をいろいろ聞くことが出来た。たまたまお近くに篠原氏がおられるという幸運に感謝する声がしきりであった。

 篠原氏は1940年のお生まれで、1960年、静岡大学2年生で鈴木安蔵ゼミに入られたとのことである。60年安保闘争まっただ中のことで、勉強はそっちのけであったが、新聞会にも所属して大学新聞の編集にも携わっていたことから、鈴木教授への原稿依頼と清書(教授はたいへんな「達筆」で、そのままでは印刷屋にだせなかった)を担当することになり、親しく謦咳に接せられたという。
 氏は冒頭、鈴木が静岡大学に招かれることになった事情について以下のような興味深い話をされた。
 鈴木安蔵は、京都大学治安維持法で逮捕され自主退学したのであるから大学中退のままであった。3年間の獄中で憲法、とりわけ明治憲法が制定される過程を研究し、戦後、その「明治憲法制定史」として学位論文を提出して博士号を得たのである。その鈴木が静岡大学に職を得たのは学生の要求があって、それを教授会が受け入れて教官として招聘したのであるということを新聞会の先輩学生は教えてくれたとのことである。学生の要求で教授が招かれるなどということは、今日から考えれば夢のような話であるが、戦後民主主義下のいきいきとした大学の気分が察せられるエピソードである。
 鈴木の憲法制定にかんする見解として、印象深く聞いたのは、憲法研究会として「憲法草案要綱」をまとめ上げることに大きな力となった鈴木ではあるが、1946年の衆議院議員選挙によって成立した国会で憲法を制定してしまうことには批判的であったということである。このあたりは映画では触れられていないが、鈴木としては、国民のなかから広範な憲法制定運動が起ってきて、国民的議論を経て国民投票で憲法が成立することを期待していたのだということだ。
 憲法研究会の「草案要綱」を、会員間の意見の相違を包含して「最大公約数」的なものにまとめ上げた努力は、鈴木の力によるところが大きいと思われるが、その努力も、この草案をもとにして「民主人民戦線」(鈴木の言葉)と結合して新しい憲法制定へつなげてゆきたいという鈴木の願いのゆえと考えることができる。
 (この項続く)

 
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by sumiyakist | 2008-04-12 14:09 | 憲法・教育基本法

静岡大学教授・鈴木安蔵

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「日本の青空」の主人公・鈴木安蔵の関係者が意外に近くにいることに驚いている。
 映画を観る前に事前学習をしたらどうかということになり、もと富山大学教授で憲法学がご専門の篠原巌氏に事務局で講師をお願いしたところ、なんと、篠原先生は静岡大学教授時代の鈴木安蔵氏にゼミで2年間も教えを受けていたとのことである。これは願ってもないことと、鈴木安蔵の実人物像などの話も交えて講演をしていただくことになった。
 じつは(これは以前から聞いていた)、かなり若い世代ではあるが、市民オンブズ富山の代表である青島明生弁護士も静岡大学の出身である。念のためにメールで確かめたら、
                  *
(鈴木安蔵氏は)私が入学した頃にはおられませんでした。
 鈴木安蔵先生が後任に引っ張ってこられた丸山健先生に教わりました。
 (静大を退官されたのは)おそらく、7〜8年前の話ではなかったかと思います。
 丸山先生によれば、映画のように苦労されたので、丸山先生には「丸山君、いざというときのためにお金を貯めて貸家を持った方がいい」と言われたそうです。
                   *
とのことである。
 いわゆる「恒産なくして恒心なし」を愛弟子に諭されたのであろうが、鈴木氏自身は、恒産がなくても恒心を持つこが出来ることを身をもって示したのかもしれない。丸山健氏は後に(S.52〜57)静岡大学学長を務められた。
 なににしても、4/11の事前学習会は興味深いものになるだろう。
 午後7時半から、小矢部市総合会館。地図
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by sumiyakist | 2008-04-06 22:30 | 憲法・教育基本法