カテゴリ:自然と暮らし( 68 )

カジノ資本主義の次に来るもの

 このごろよく言うこと。「20年以上も炭焼きをやってきたが、これがやき物かなにかを焼いてきたのなら、いまごろはもう先生だけど、炭だからいつまでたってもただの炭焼き(笑)。」

 じっさい、炭焼きというショーバイがこんなに続くとは思わなかった。山で暮らし始めるにあたってたまたま遭遇したのが炭焼きという仕事。紹介してもらって出会った隣村の炭焼きさん「ムカイのおじじ」(=田畑のじいちゃん)は、その時ちょうど80歳。私が40歳を過ぎたところで、単純に「80のじいさんになっても出来る仕事ならあと40年間も出来るわけだ」と変に納得して弟子入りしたのである。はやその半分以上が過ぎた勘定になる。あと20年も同じように続けることが出来るかどうか、必ずしも自信はないが、けっこう性に合ったか、まだまだ当分やれそうである。(ちなみに、わが師「ムカイのおじじ」は90歳ころまで現役で炭を焼いていた。)

 実体経済といえばこれ以上実体的なものはない。自然物としての立木を自分で伐ってきて炭に焼く。炭を火鉢なりイロリなりに置いて火をつけると炭の燃焼によって熱エネルギーが放出される。それ以上でも以下でもない。私の場合、問屋だとか小売りだとかの流通経路もないから、直接の顧客との関係があるだけがある。「商品」のもっとも原初的な形態。自然が商品に形を変えるまさにその現場に立ち会う毎日ということになる。

 100年に一度の経済危機だとか、大恐慌の再来だとかいっているが、そもそも実体経済とかけ離れた金融工学=カジノ資本主義の失敗なのである。昔の(今もそうかもしれないが)博奕打ちは、賭場の勝負は賭場だけで完結させたものであろう。自分らの博奕の勝ち負けで堅気(かたぎ)の世界に迷惑をかけるなんぞは、博徒の風上におけないのではないか。

 実物経済だけが真実の経済であると極論をいうつもりはないが、アメリカが主導してきた「金融資本主義」「カジノ資本主義」が根底から自壊現象を起こしていることは誰しも認めざるをえない。

 かといって、資本主義に倫理を求めるのはオオカミに菜食主義を要求するようなものだ。本当に世の中に「倫理」を貫徹させようとするなら資本主義を廃絶するしかないのだろうが、ことは簡単ではない。資本主義というのは実際は「主義(イデオロギー)」ではなく、ヒトの自然性に根拠をおいているからである。それは仏教的な言葉を借りれば、「無明」から立ち上がってくる制度であるから、表層の社会システムのように簡単に替えるわけにはいかない。

                      *
 以上が年賀状代わりの紙版の「スミヤキスト通信」に書いた巻頭言。
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by sumiyakist | 2009-01-03 17:40 | 自然と暮らし

新しい年

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c0068917_10565055.jpg  元旦は10センチほどの積雪であけた。
 いつもなら暮れから来て年越しをする大阪の上の娘一家が、4人目の子が生まれたばかりで移動は難しかろうと、来ないことになり、「大人の正月」となった。
 大阪のシェフPUSH-PULL氏は、昨年に続いて老犬の介護で家を離れられないとのことで不参加。息子と帰省した下の娘が参加して「おせち」づくりは(だいぶ手抜きをしたが)なんとかやり終え、玄関の花も活ける。(仕上がったあとで友人からカサブランカと金色のマツボックリを貰ったので追加)。
 雪は降り続き、昼には20センチを越す。
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by sumiyakist | 2009-01-01 12:06 | 自然と暮らし

餅つき

 師走の19日、友人の金嶋久貴子(茎子)さんが経営するNPO法人のデイサービス施設「神通さくら野」の恒例の餅つきに、つき手の友人を誘って(わが家の正月用のもち2臼分の餅米を持って)朝から出かけた。
 「さくら野」の建設経過は、当時リアルタイムで報告したブログに残されているが、現在でちょうど満3年が過ぎたことになる。幸い、いいスタッフにも恵まれて、利用者もどんどん増えてきて、手狭になったので2階建て延べ44坪の増築にとりかかり、先日やっと完了したところである。今年はそのお披露目も兼ねての餅つきとなった。

 今日の利用者は20人を越えている。その家族の方も何人か見えていて、スタッフやわれわれ「男衆」も含めて総勢40人ほどで賑やかに餅つきが始まる。

c0068917_20494281.jpg  餅つきは、つき手と「手返し」(臼の中のモチが万遍なくつき上がるように杵の間をぬってモチを引っぱったり折り返したりする役)の呼吸が合わないといけないが、予定していなかったひとりの利用者さんが「やりたい」と名乗り出てきた。77歳の女性で、50年ぶりに手返しをしてみたいとのこと。

「では」とお願いしてみると、これがたいへん上手。50年経っても体で覚えた技は身に付いていて、すぐに使うことができるのだと、スタッフも見ている人も感心する。左の写真は、私とその利用者のSさんとのコンビの場面。


c0068917_2052363.jpg ついたモチをすぐに10時のおやつとしてアンコ・きな粉・ゴマにまぶして食べたり、昼食にはお雑煮として食べたりした。

c0068917_20533847.jpg しかし、なにしろ、お年寄りのことだから喉にモチを詰まらせたらたいへんだと、スタッフはあちこち目配りおこたりなく、心配となると小さなモチをさらに小さくちぎったりして大忙しであった。
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by sumiyakist | 2008-12-20 21:00 | 自然と暮らし

鎌仲ひとみ監督と語る

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 今日12月14日、石川県の内灘町で、「鎌仲ひとみ監督と語る会」なる講演会があったので出かけた。
 鎌仲さんは富山県氷見市の出身の女性でドキュメンタリー映画監督。イラクでの劣化ウラン弾による被曝や核施設周辺の汚染による緩慢な被曝を扱った「ヒバクシャ・世界の終わりに」や、核燃料再処理施設の建設に揺れ動く青森県六ヶ所村の様子を描いた「六ヶ所村ラプソディー」を撮った人である。(それ以前にNHKの制作になる「エンデの遺言」にも関わっている。)
 今回の講演は、次の作品になる予定の「ミツバチの羽音と地球の回転」(仮題)の取材経過で得られた知見をもとに、スウェーデンのエネルギー政策の現状を紹介するものだった。
 スチル写真の映像をプロジェクターで映しながら、次々とスウェーデン政府のエネルギー政策や産業、人びとの暮らしなどを紹介していった。
 脱原発を実行し化石燃料への依存も徐々に減らしながら、なおかつ経済成長を続けているスウェーデンの成功例(太陽光・風力・バイオエタノール・バイオマス・バイオガスなどの自然&再生可能エネルギーの現状)をきめ細かく取材している様子がうかがえる「中間報告」であった。
 また、同時並行で取材している山口県の瀬戸内海に浮かぶ小さな島・祝島の様子も紹介された。こちらは中国電力が建設を目指してきた上関原発立地予定地のすぐ対岸にある島である。島民たちは20数年にわたって一貫して建設反対を主張しているが、そういう島民たちの細やかな日常生活と対比しつつ原発建設問題が取り上げられている。
 こうした取材過程からどのようなドキュメンタリー映画が生み出されてくるのか、多分、鎌仲監督自身もまだ模索しているところなのだろうと思う。いわば、手の内を見せてくれているわけだ。
c0068917_21351226.jpg 参加者との対話の最後で、自分のガン罹患のこと、医師の勧告を拒んで手術をせずにいたらガンが退縮していたことを告白をしたのもにも驚かされた。最新の著書『六ヶ所村ラプソディー』(左)にも書いてあるとのことである。

<12/15 追記>
 会場に少し早く着いたので、準備中の鎌仲監督に挨拶をした。というのも、目下、関係住民の一人として関わっている「高岡地区広域圏のごみ問題を考える会」の活動で、氏ともメールなどでのやりとりをしているところだったからだ。
 問題は日量270トンという巨大なゴミ焼却施設を新たに建設するという行政の計画に「待った」をかけようということなのであるが、建設予定地が高岡と氷見との境界の丘陵地ということで、故里・氷見のこととて、鎌仲氏も心配して現地踏査などの状況確認に同行されたりして、運動の立ち上げに関わってくれているのである。
 その際に、私の手渡した紙版の「スミヤキスト通信」に載せた『ガン呪縛を解く』の記事を目ざとく見つけて、ご自分のガン体験の話しをされたのである。氏もやはり、外科手術を拒否して、さまざまな「代替療法」を試みられたそうだが、そのうちに退縮(自然治癒)したそうだ。そして、そういう体験をした人が沢山いることを知ったという。
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by sumiyakist | 2008-12-14 21:39 | 自然と暮らし

美しい仕事場

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 いまの仕事場すなわち、原木を伐採している場所は炭焼き小屋のつづきの尾根。立木を倒すと見晴らしがよくなって、ちょうど久利須村の集落を見下ろすことができる。村の旧家であるM家の屋敷のモミジが紅葉の盛りである。裏山も紅・黄・茶・緑とモザイクのように入り組んで見える。(カシナガ被害の枯れ木はもう見分けがつかない)。
c0068917_937740.jpg 伐り進んでいる尾根の木々も日に日に色を変える。モミジはもちろんきれいだが、ナラも条件がいいとオレンジ色に輝く。こういう美しい「職場」で仕事ができるのは炭焼きのささやかな役得である。

c0068917_921464.jpg 小屋から伐採場所へ向かう通路。もとは林だったが、切り株を起こしたりして運搬機も通れるように整備したら森の小径のようになった。このあたりは、今のカマと小屋を造った後、12,3年前に伐採した場所である。だから道の左右の雑木はみな若木である。

c0068917_9255684.jpg 通路から小屋の方をふり返るとこうなる。今年は小屋の屋根の改修が出来ずじまいで、割れた波板はそのまま。

c0068917_9122164.jpg ころあいの太さのナラは葉が落ちた頃を見計らって切り倒しておいて、来年の春には椎茸の菌を植える原木に使うことにする。
 
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わが家の裏に置いた原木からナメコや椎茸が沢山出て来だすと季節は一気に晩秋から冬へ。
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by sumiyakist | 2008-11-19 10:07 | 自然と暮らし

炭焼き三昧

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 秋晴れの晴天が続いている。今週はなにも予定を入れずに炭焼き作業に没頭している。
 秋は炭焼きさんの最繁忙期である。カマから出した炭をノコで切って箱詰めをしながら、カマの番をしているところである。カマは火を入れて4日目。2日目まではカマの口で燃材を投入してせっせと燃やしていたのであるが、いまはもうカマの中の温度が十分上がったので、自発炭化が進行中なのである。ときどき煙突の煙の温度を確認してやるだけでいい。(160℃になったら木酢の採取を止める)。
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 小屋の側には次の原木が用意してある。(これではまだひとカマには足りないが。)ついでに炭焼きさんの三種の神器ともいうべきトラック、運搬機、チェーンソーを並べてみた。
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by sumiyakist | 2008-10-18 17:47 | 自然と暮らし

ゴジカラ村ってな〜に?

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 10月4日(土)の午後、 愛知県長久手町のゴジカラ村から「村長」の吉田一平氏を招いて、私もメンバーの一人であるところの「まちの福祉しらべ隊」が主催する講演とシンポジウムが高岡駅前のウイングウイングで開かれた。
「ゴジカラ村」というのは、幼稚園2園のほか、デイサービス・特養・グループホーム・ケアハウスなどの高齢者福祉施設、訪問介護・訪問看護などの事業から、看護師・介護士養成の専門学校、宿泊施設などを運営する福祉の総合商社ともいうべき存在である。「もりのようちえん」「ぼちぼち長屋」「ほどほど横丁」などの施設の名称がそれぞれ吉田氏の思想を表していておもしろい。
 「しらべ隊」のメンバーがこの春に見学に出かけて、森の中に点在する木造の施設群を実見し、吉田氏にその経営方針などを聞いたことがあった(私は参加できなかったが)。
c0068917_20211468.jpg 吉田氏は、30数年前、務めていた商社を辞めて、開発で失われてゆく森を守る方法として幼稚園を開設し、次第に老人ホームなどの福祉事業に関わることになった経緯を話した。(氏のお父さんは以前、長久手町の町長をなさっていたというが、もともと農地や山林を所有している大きな農家であったらしい。これは私の推測)
 氏は、用意してこられたパワーポイントの映像などお構いなしに、これまでの事業の概略や運営の理念などを次々と語る。ちなみに、氏は「パソコンはやらない」のだそうだ。資料映像はたぶん、講演用にスタッフが作ったものなのだろう。

 雑木の山を残す方策を考えたことから氏の事業がスタートしたことが象徴するように、氏の愛する言葉は「雑」であり「混ざる」である。そして「ほどほど」「いいかげん」である。目指すべきは「時間に追われない生活」である。
 近代システムの、効率的な、企業的な方法論とは対極的な考えであるが、ある自動車メーカーの研究開発部門が、30年後の暮らしのテーマを模索していて「ゴジカラ村」に行き当たり、注目されたことがあることなども話していた。

 雑木林の中の木造の施設(古民家を移築したものもある)だから、ムカデも出るしスズメバチも来る。それが自然というものだ。いいとこ取りはできないし思うようにはならない。子どももまた「自然」である。親の思うようにはならない。
 幼稚園には暖房も冷房もないのだという。(カリキュラムもないし、行事もほどんどない。ひたすら遊ぶだけだという。年齢で分けず3歳から5歳まで「混合」。)それなのに入園申し込みには行列が出来るという。
 介護施設も行政の作った制約などお構いなしにどんどん越えてゆく。寝たきりのお年寄りが1階に住む上に単身の女性宿舎(アパート)を作る。女性入居者にはお手当が出る。介護付きの宿泊施設で要介護の親などの大切な人とゆっくり泊まりがけで出かけてみたい人のための宿屋(ホテル)もある。
 ケアハウス(元気な高齢者向きの賄い付きアパート)にはフグ料理屋を「誘致」しているから食事は美味しいという評判である。全ての施設には(幼稚園にも!)露天風呂と生ビールサーバーが設置されている。
 建物は全て木造であるのは当然であるが、生えている樹木を切らないで建設するために、屋根の一部を切り欠いたりしてある。などなど、いわば、常識を破ったことが多い。
 すべては吉田一平氏の考え方によるのである。当然、がんじがらめの行政システムとは衝突する。何度も役所と折衝し説得したり、抜け道を考え、誤魔化す方法を探す。事業主体も学校法人、社会福祉法人、株式会社、NPO法人と、多彩になっているのは行政の制約条件を回避するためでもある。
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 講演のあと、さらにゴジカラ村の理解を深めようということでシンポジウム形式で質疑など行った。NPO法人・親と教員の会が運営する(敢えて認可をとらない無認可の幼稚園)「こどものその」の理事である吉井佐代美さん、やはりNPOで富山型デイサービス施設「ひらすま」を経営している佐伯知華子さん、しらべ隊隊員で現地を訪れたことのある伊藤冴子さんの3人がシンポジストとしてそれぞれの関心分野から発言し、会場からも意見が出されて、吉田氏との応答があるなど、盛況であった。(私がコーディネーターを務めた。)
 ただ、ゴジカラ村は、ハード・ソフトとも常識的な仕組みを越えたところがあるから、実際を見ないと本当のところはよく分からないし、それでなくても社会福祉事業は厳しい時代であるから、問題は山積のようであるが、制度に合わせて事業を行うのでなく、あるべき人の暮らし方から事業のあり方を考え、制度を変えて(時に無視して、換骨奪胎して、ごまかして)ゆこうとする吉田氏に大いに啓発された参加者が多かったと思う。
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c0068917_20335177.jpg 夕食の交流会のあと、吉田氏を案内して高岡市の新しいイベント「万葉朗唱の会」をスタッフや参加者と一緒に見物してもらった。この催しは、万葉集全20巻4516首の歌のすべてを、リレー方式で歌い継ぐ。連続三昼夜にわたり全国から2000人を超える人々が朗唱する。
 会場は古城公園のお堀に設けられた特設舞台である。今年で19回目だというが、私も初めて観覧した。


c0068917_20344097.jpg 舞台で朗唱するにはあらかじめ申し込んでおかねばならないが、装束を付けるだけならその場で申し出れば着させてくれる。吉田一平さんをはじめ、同行の我々も何人かは万葉時代の衣装を付けて記念撮影。
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by sumiyakist | 2008-10-05 20:47 | 自然と暮らし

大恐慌よ来たれ!?

 アメリカ政府・議会が共同して金融機関を救済しようとした7000億ドル(75兆円!)の公費支出議案(金融安定化法案)が、有権者の猛反発を受けて下院議員が反対せざるを得なくなったたために成立しなかった。そのおかげで大恐慌が再来するかもしれないという。
「金融システムをまもる」とか、「日本発の金融恐慌を起こさない」とかいいくるめられ、マスコミを動員した世論づくりが行われて金融機関に公費を投入した日本とは違って、アメリカにはまだ民主主義が生きているということなのか。
 「何十億円という報酬や配当を受け取っていた金融・証券の経営者・出資者の失策を俺たちの税金で救済することは許さない」という民衆の意思表示が議会を通じて明らかになった。失うものはないという民衆の目覚めというべきか。
 「金融工学」という言葉がいつ頃から市民権を得たのだろうか。英語でいえば、ファイナンシャルテクノロジーいうのか、あるいはファイナンシャルエンジニアリングというのか、いやもしかして、そんな英語はないのか。私は知らないし、詮索する気もないが、そういう手法そのものはアメリカ発であることは間違いないだろう。
c0068917_20591774.jpg そんなことを考えると思い出す場面がある。5,6年前のことだ(*)。ベアテ・シロタ・ゴードンさんを迎えて富山市内で開かれた講演会でのこと。日本国憲法に男女平等条項などを書いた女性のことは知っていたが、ナマで見聞きするのは初めてだった。(写真は東京新聞のウエブサイトから無断借用)
 講演では、ベアテさんはもちろん、GHQ民政局勤務当時の「憲法制定秘話」とも言うべき話をされた。しかし、私が強く印象づけられたのは、現代アメリカ社会の風潮について、顔の前で両手をすり合わせて拝むしぐさをながら「アメリカではお金が神様仏様なのです」と述べたことである。しかも、講演の中とその後の質疑応答の際と、2度も繰り返したのでとりわけ強く印象づけられたのだと思う。
 それに関連して、アメリカの大学生は卒業すると競って金融機関、株式・投資会社に就職したがるということを批判的に述べていた。アメリカ合衆国は国をあげて金融国家を越えて「拝金国家」になっていることを苦々しい思いをこめて話していたのだと思う。
 そういえば、クリントン前大統領のひとり娘(名前は失念した)は投資ファンド会社に就職しているそうだが、まさしく金融国家=寄生国家・アメリカを象徴している。(わが国で、政治家の子どもたちが親の秘書になりその地盤を継いで2世政治家になるのとどちらが上等か俄に決しがたいが。)
「金融商品」という言葉は、実は「商品」の自己否定だと思うが、なんの疑問もなく大手を振ってまかり通っている。まっとうな資本主義を再建するために「世界大恐慌よ来たれ!」と言うべきなのだろうか。

*追記 友人に確かめたら1999年5月21日だった。年の経つのは早いもんだ。
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by sumiyakist | 2008-10-01 21:04 | 自然と暮らし

ナラ枯れ・一年後

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 昨年、ナラ枯れ現象について何回か書いたことがあるが、一年が経過しての様子をレポートしておこう。
 見て分かるとおり、今年もさらに何本かが立ち枯れた。今年の被害木は葉が茶色に見える。昨年のそれは、葉が落ちて枯れ木のように見えるか、あるいは枯れた葉が一年間落ちずに残っていて灰色のように見えるものもある。今年は尾根から少し下がったところに多く発生しているが、昨年と同程度の被害本数のように見える。(手前の犬はわが家のベル。)

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こちらはマツオの尾根を見たところである。こちらは昨年ほど多くはないようであるが、やはり新たなナラ枯れが何本かある。現場は谷をいったん下りた向こうの山であるから、そばまで行くのはかなり面倒である。手前の休耕田は昨年同様ソバを作っていて、目下花盛りである。
(右手に三角形に枯れた樹形が見えるが、これは樹木ではなく、木に巻き付いて繁茂したツル性の植物が枯れているようである。)

c0068917_21593734.jpg 左の写真は、上とは少し離れた山で、いま伐採中の現場のミズナラの木である。下向きに相当傾斜して生えているのを、斜面の上側に倒すためにワイヤーをかけて引っぱっているが、ご覧のように劇症の枯死状態である。しかし、よく見るとまだ緑の葉もついている。

c0068917_228126.jpg 目の高さほどの幹である。まだきれいな葉が付いているが、カシノナガキクイムシ(カシナガ)が潜入した目印である、きな粉のような食いかす(フロス)が沢山付着している。

c0068917_7324971.jpg ついでにワイヤーを引っぱっているチルホールという道具を紹介しておく。写真の右側にワイヤーが延びている。左側は切り株に固定してある。1メートルほどのハンドルを往復させることで梃子の原理でワイヤーをたぐり寄せる。1往復で7センチほどだから、何十回も往復させねばならないが、垂直引き上げで800キロ、引っぱりで1トン半ほどの力を出してくれる。山の中へ入って人力だけでこのパワーを使えるのだからありがたい。原木の切り倒しや斜面からの引き上げなどに重宝している。

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by sumiyakist | 2008-09-20 22:25 | 自然と暮らし

岡部伊都子さんのこと

c0068917_22512356.jpg 岡部伊都子さんが亡くなられた。
 昨年の暮、京都駅近くのマンションのご自宅へ収穫した大根などの野菜を持参したが、思いのほか弱っておられたので、心の中では、これでお目にかかるのは最後になるかもしれないという予感というか、覚悟のようなものを胸にドアと閉めたことを思い出す。
 岡部さんと直接お会いするようになったのは、私が京都の出版社に勤めていたことで、原稿のお願いに上がったことが機縁となった。もう30年近くも前の1980年ごろ、岡部さんの下鴨時代だった。
 その後、取材で寺社へご一緒することもあった。岡部さんはまだお元気で、自動車で回ることが多かったが、一度などはバイクに乗ってみたいとおっしゃるので後ろにお乗せして琵琶湖畔の白髭神社の石仏を取材に行ったこともあった。(さすがにこのときは親しい歴史学者のU先生からお小言を賜ったが、それも懐かしい思い出である。)そんな時の短文も含めて『みほとけ・ひと・いのち』(法蔵館・刊)というエッセイ集を作らせていただいたこともあった。
 私たち一家が富山の山村へ「入植」しようという計画を立てたときに、賛意を示してくださった一人が岡部さんだった。私が炭を焼き始めたときも興味とともに応援の文章を書いてくださったりしたし、われわれの暮らしぶりを検分にわざわざお訪ねいただいたこともあった。
 京都と富山、都市と山村、と、離れた立場になってからの方が、それ以前の著者と編集者として以上に、なにかしら同士的な連帯が出来たような気がする(ただし、岡部さんに確かめたわけではないから、私一人の思いこみかもしれないが)。
 大阪などへの行き帰りの途中に、せいぜい年に2〜3度立ち寄らせていただく程度だったが、炭(これは代金をいただいた)や野菜をとても喜んでくださった。写真は、そんな時の一枚。どういう経緯だったか珍しくツーショットでTさんに撮っていただいた。2003年ころ、出雲路松ノ下町のお宅で。
 
 岡部さん、長い間頑張っていただきありがとうございました。いまはもう、ゆっくりお休みください。
 
c0068917_7403452.jpg 写真の追加を。2000年か2001年、妻も一緒にお訪ねした時のもの。やはり旧宅の玄関前で。
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by sumiyakist | 2008-05-01 00:15 | 自然と暮らし