カテゴリ:自然と暮らし( 68 )

イノシシと闘う

 長い間更新しないでほったらかしにしていたブログだけど、思うところがあって(というほど大げさじゃないが)再開することにした。
 年賀状代わりの通信を毎年作って出しているのだが、ブログに記事を書いているときには適当に選んで版下を作ることができたのであるが、ブログを怠け出してからは通信のために年末年始に慌てて記事を作る羽目になって困っていた。そこで心を入れ替えて(笑)ブログを再開した次第。
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 北陸などの雪深い地域ではイノシシが棲息していないというのがこれまでは通説だった。実際、われわれが久利須で暮らし始めてから、イノシシの被害のことなどは聞いたことがなかった。
状況が変わり始めたのは7、8年前からである。2009年10月〜11月にこのブログでアップしていた。
ソバの収穫
刈り取り終了
 悲惨ともいうべきイノシシの農作物への被害のことは、滋賀県や和歌山県の友人たちから聞いていたが、当地の人びともそれに直面することになった。ここ20年ほど、暖冬によって雪が少なくなったことが、イノシシが棲息できる環境になったためだろう。福井・石川・富山と、北上を続けたようだ。
 イノシシたちにとっての「新天地」でたちまち個体数が増えたのか、水田といわず畑といわず、山間地の農地は被害が続出することとなった。さらに道路脇の斜面は(たぶんクズの根や自然薯を掘り回るために)あちこちで土砂崩れや落石が発生した。
 また、竹の子は壊滅的な被害を蒙った。なにしろ彼(彼女)らは地下50センチの竹の子をかぎ分けることができる嗅覚とツルハシも顔負けの鼻と牙を持っている。シーズンになって竹藪に入るとそこら中にイノシシが掘り出して囓った跡がある。
 人間さまのほうは、必死になってイノシシの掘り残しをあちこち捜してやっと2~3本見つけることができれば御の字というありさまだ。以前ならとても採り尽くせなくてぐんぐん延び放題になって見る間に新しい竹に育っていくのがあちこちにあったものだが、いまはそんな景色はない。このままではいずれ竹林が消滅するのじゃないかと心配するほどだ。
 水田は電気柵で囲うことでいちおう侵入を防ぐことができるようだが、それでも完璧とはいえない。電気がリークしないようにせっせと草刈りをしなければならないとのこと。ムラでもサツマイモの植え付けをやめた家もある。大豆や小豆のようにイノシシが格別それを食べるわけではないだろうけど、土中のミミズを捜すのか、そこら中を掘り回って、おかげで木の根が掘り出されてしまう場合もある。
 害獣といえばこれまでも、タヌキや兎・ハクビシンなど困った存在ではあったが、イノシシほど強烈な被害をもたらすモノはいない。電気柵で囲い、網やトタンで柵をめぐらしたところで、侵入を防ぐのが精一杯。増殖を止めることはできない。行政もカネや人を投入して防除に力を入れることになる。
 中山間地の地域に捕獲隊を組織することになり、捕獲檻の設置を始めた。住民には狩猟免許を取得して檻の管理を要請した。免許取得に補助金(講習や試験などの免許取得費用)を出すという。
 わが久利須村としても誰かが狩猟免許を取る必要あるだろうと、私が県の講習や試験を受けて免許を取り、檻の設置を要請した。狩猟免許といっても猟銃でなく、ワナ(檻)の免許である。

 こうしてイノシシとの闘いが始まったわけである。
 免許を取って間もなく、檻1基が配備され、昨年夏に1頭を捕獲。たまたま連れて行った犬が興奮してたいへんだった。
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 とどめを刺す(「止め刺し」という)のは捕獲隊の責任者や市役所の農林課職員が来てやってくれるのだが、そのあとの処分は当方に任される。折角だからさばいて食肉としてジビエ料理なるものを試みてみたいと思う。
 山続きの隣の市の友人二人がやって来てさばき方を教えてくれた。ニワトリなら何度もさばいたことがあるが、イノシシとなるとなかなかたいへんだ。友人たちのおかげで初獲物は最終的にこんな姿に変わった。
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 もちろん、たいへん美味であった。考えてみれば、人工的な飼料(輸入トウモロコシや残飯など)で飼育されたブタと違って、自然の健康的な食べ物を食って、野山を駆けまわって育ったのだから当然かもしれない。

 今年は檻1基を追加配備してもらい、通年で檻が稼働したせいもあり、全部で9頭も捕獲した。仔イノシシ(うり坊)が一度に3頭も入っていた時もあったし、暮れ近くになって62キロというこれまでの最大の成獣がかかった。しかし、いずれも自分ひとりでさばく気力はなく、捕獲隊関係者に引き取ってもらったり、小さくて引き取り手のないものは穴を掘って埋めた。
3頭の仔イノシシ
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62キロの大物(中もの?)
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 よほどの悪天候でない限り、毎日エサの米ぬかをもって畑まで上がって檻を確認してエサを補充をすることが日課になった。
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by sumiyakist | 2016-12-25 23:36 | 自然と暮らし

刈り取り終了

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 11月1日、昨日までの作業でほとんど刈り終えて、カメラ位置の背後に少し残すだけになった。昼からは天候が大荒れとの予報。それまでに早く刈り取ってしまおうと、一人でツカダにやってきた。
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 ちょうど昼頃には全部刈り取り束ね作業を終える。ハサに掛けるのは(暴風雨を避けて)後日にして、差し当たりブルーシートに包んでおく。昨日までハサに掛けた部分にはビニールで雨よけをしておく。
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 福井・石川・富山のイノシシ被害が拡大しているとの新聞報道が今朝の朝日(富山版)に出ていた。富山では毎年3倍のペースで被害額が増えているとのこと。(スキャナー読み取りを省略略、デジカメ画像を載せた)。
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by sumiyakist | 2009-11-01 20:48 | 自然と暮らし

ソバの収穫

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今日10月28日のツカダの様子。ほとんどが台風で倒されたままながら、ソバの実は熟して黒褐色になってきた。種まきからちょうど60日である。
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c0068917_2144553.jpg 実はこういう状態である。実は、最初は白いのだが、熟してくると次第に茶色から黒っぽくなる。まだ白い花を付けている枝もあるし、熟してこぼれ落ちる実もある。全部の実が一斉に熟してゆくことはない。
 ソバの刈り時については、「ハエが3匹止まったら刈れ」という言葉を聞いたことがある。一面に白い実(まだ花も咲いている)のついた状態から黒い実が3粒(ハエが3匹)でも見えたら刈れという意味である。いくらなんでもそれでは早すぎるのだが、熟しすぎて刈る時期が遅れると実がポロポロこぼれて収穫出来なくなることを戒めていう格言らしい。

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 ソバを手刈りして乾燥させるのにはちょっとしたコツがある。一握りほどずつをいったん束ねて(左)、さらにその2束を併せて、先の部分を折り込んで結束する。こうすると熟した実がこぼれ落ちるのを防ぐことができるわけである。本来は稲ワラで結ぶが、今回はバインダーのヒモ(麻ヒモ)を短く切って使う。
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 結んだ束を竹のハサに掛ける。こうして天日乾燥させる。稲作をやっていると、ちょうど稲の脱穀が終わってハサが空いたあとにソバを掛けることになる。(その後にはアズキということになる。)
c0068917_22182331.jpg 横にはひと群れのノコンギクが風に揺れていた。秋は急速に深まってゆく。 

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 ところで上の写真はなんだろうか? これはイノシシが牙で地面を掘り返した跡に違いないと思っている。ソバの種を蒔いた残りの一部にあか株の種を蒔いておいたのであるが、とりわけそのあたりがひどく掘り返されている。あか株もさることながら、地下に埋まっているクズの根を掘り起こしているのではないかと推測できる。
 そもそも、雪深い地方ではイノシシは生息できないというのが定説で、じっさい、当地ではこれまでイノシシによる獣害は聞いたことがなかった。温暖化と少雪によってイノシシの生息域が北上していると情報はあったが、こんなにも早く到来しようとは! 近在の村でもサツマイモをはじめ、イノシシによると思われる被害の話を聞くようになった。ハクビシンに加えて手強い害獣の参入である。
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by sumiyakist | 2009-10-28 22:43 | 自然と暮らし

台風被害

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 台風が遠く離れて行った10月9日の午前のツカダの様子である。
 当地は台風の直撃を受けたわけではないが、雨風の相当強い時間帯があった。畑の豆には支柱を追加したりして、それなりの対策をしたが(それも結局は役に立たなかったけれど)、ソバには対策の施しようもないからなにもせずに放置した。
 この場所は陽当たり風通しとも良好なので、30メートル/秒を超える風速があったというから、かなりダメージを受けたようだ。

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 ソバという作物は根が浅く弱い。場所によってはこんなふうに風で引き抜かれた株もあちこちに見える。植え直すことも出来ないが、目についたものは土に埋め戻してやる。

c0068917_10104184.jpg ソバは、花を咲かせながら同時に結実してゆく。三角に見えるのが実である。これが熟すと黒くなり、自然に落ちてしまう。まだ未熟の段階だから、風にあおられても落ちない時期だったのは幸いであった。



c0068917_10193512.jpg こちらは直ぐ近くの野草、ミゾソバ。背も高くないし、根もしっかりしているから、びくともしていない。平気な顔できれいな花を咲かせている。「ソバ」の名は付いているが、実がどんなものか、気をつけて見たことはない。

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by sumiyakist | 2009-10-10 10:27 | 自然と暮らし

ソバの花

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 昨日(9月24日)のツカダの様子である。ソバの種を蒔いたのが8月28日だから、もう1ヶ月近くになる。草丈も伸びて、ようやく花が咲き始めた。急なことだったので種を2キロしか確保できず、復旧した面積の全部には蒔けなかったが、手作業でする刈り取りのことを考えて、スジ蒔きにしておいたのは正解だった。
 秋が深まった時期になってから、こうして一面に花が咲く情景を見るとそれなりに爽快な気持ちになる。

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 ソバの花をアップで撮った。清楚・可憐といった表現がぴったりの花である。
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by sumiyakist | 2009-09-25 20:53 | 自然と暮らし

朋あり遠方より来たる

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 今日の写真もツカダである。
 京都の丹後半島の真ん中、味土野(みどの)に住む友人夫妻が訪れてきて、再開発の現場を案内した。手をつないでいるのは、蝕手話というコミュニケーションの最中だからである。というのも、夫人は目も耳も不自由な、いわゆる盲聾者であり、普通の手話ではコミュニケートできない。夫の梅木氏が手を直接触れあって再開発途中のツカダの様子を説明しているのである。
 梅木氏は私の古くから(といっても百姓暮らしをしてから)の友人というか仲間である。堺市生まれの団塊世代の人だが、高校を卒業して直ぐに「新しき村」に入村したという、筋金入りの求道者であり、知り合ったころは丹後半島の最高地点である木子(きご)というところで黙々と百姓生活をしていた。当時は、もちろん、独身で、自動車も持たず、テレビどころか電話もないという、われわれの仲間うちでも最も「仙人」的人物だった。

c0068917_20361259.jpg 少し離れた現在の味土野という在所(細川ガラシャが隠棲した場所である)に移ったことは聞いていたが、そのうち、都会で暮らしていた、目も耳も不自由な女性と結婚するという話を聞いて仰天した。その経緯はとても簡単には説明できないが、委細は左の本『見えなくても、聞こえなくても。―光と音をもたない妻と育んだ絆』(主婦と生活社・刊)に詳しく書かれている。(版元品切れだが、アマゾンでは購入できる)。
 私は数年前、新婚の夫妻を味土野に訪ねて、山深いわずか5戸(いまは3戸5人だという)の集落での暮らしぶりを見たことはあったが、梅木氏も妻の久代さんもわが家に来たことはなかった。

c0068917_20433027.jpg それが、遅まきながら富山県でも「盲ろう者友の会」が立ち上がることになり、その記念講演に夫妻が招かれて来ることになった。左の写真が昨12日に行われた講演の様子である。久代さんが手話で話をし、好彦氏が通訳をしている。盲ろう者の聴衆には蝕手話の通訳者がついている。せっかくの機会だから久利須村を訪ねたいということで、翌日である今日、お迎えしたしだいである。
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by sumiyakist | 2009-09-13 21:08 | 自然と暮らし

耕作放棄田、その後

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 比丘尼塚伝説のあるツカダの今日(9月10日)の情景。
 何度か草刈りをし、友人が手伝ってくれて、開墾グワでカヤの株を掘り起こし、再開発に取り組んできた。が、夏前から雨続き。刈った草を燃やして地表面をトラクターで耕すという作業ができず、予定していたアズキの種まきを結局やれずじまい。
 盆過ぎになってようやく種まきの準備が出来たが、すでにアズキには時機を逸してしまい、8月も28日になってやっとソバを蒔いた。
 そのソバが芽を出してこういう状態になっている。真ん中にあるのが比丘尼塚。クワの木にクズの葉が茂ってこんもりした茂みになっている。
 開墾(再開発)した面積は旧田の半分にも及ばす、向うには2メートルを越すカヤがススキの穂を出している。
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by sumiyakist | 2009-09-10 23:32 | 自然と暮らし

伝説の里の耕作放棄田

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  久利須の集落から1キロほど離れたところに、ツカダと呼ばれる田んぼがある。いや、「あった」というべきかも知れない。もう耕されなくなって10年近く。一面の茅(カヤ)の原と化している。古い山田にしては広い部類の数枚の田があるのだが、その最上段の田の現状が上の写真である。
 かつてこの田が耕作されていたときには珍しい光景を見ることができた。田んぼの真ん中に直径3〜4メートルの小島が浮かんでいるのである。まさに田んぼに塚があるのである。ツカダの呼び名はこれに由来していると思われる。上の写真で中央の向がわに黒い灌木が生えている部分である。

c0068917_2231538.jpg そばによるとこういう状態で、コンクリート製の標柱が立てられている。これは埋蔵文化財包蔵地を示すもので、そのアップ写真を下に載せる。

c0068917_2271052.jpg この塚は「比丘尼(びくに)塚」と言い伝えられ(一説に「姫塚」)、ここからさらに1キロほども上にある「俊寛塚」とならんで、久利須に伝わる俊寛伝説の主要モチーフのひとつである。しかし、いまは伝説に深入りしないでおこう。

 そういう由緒からしても村にとっては大切な田であるはずなのであるが、いまは耕すものもなく荒れ果ててしまっている。村を出ているこの田の所有者が、べつに小作料などいらないから耕作してくれないかと以前から話しておられた。
 一方で、私たちが「入植」してからやはり耕作放棄田を再開発して自家用の米作りをしていた田んぼが、だましだまし使っていた水利がついに用をなさなくなり(水源の堤も極度に浅くなり、水路も漏水が激しくなった)、しかたなく稲作を休止しているので、このツカダの復旧を考えないでもなかったのである。
 ここ数年、春になると現地を見ては「今年こそ」と決意(?)を新たにしたりするのであるが、そのたびに決意倒れになっていた。
 がむしゃらに耕作放棄田の復原に取りかかった20年余り前とは当方の体力も相当落ちているし、なによりも、ここ数年の稲作ばなれのうちに怠け心がついてしまって、当時のように、「保温折衷苗代」「枠を転がして手植え」「手刈(バインダー)とハサ掛け」という旧来型の稲作体系をやって行く自信が持てないでいるのである。おまけに、反戦だ、憲法だと下界からお呼びがかかるもので、ついついツカダの復活が遠のいていたというわけ。
 しかし、よくよく考えれば、反戦や護憲の運動をするためにこの山里へ来たわけでなし、こうしてむなしく原野に帰りつつある田に立ってみれば、たとえ一枚だけであろうと、田んぼの命を取り戻すことこそ自分のなすべきことのようにも思われる。


c0068917_2244342.jpg  幸い、この田の水源になる堤はまだ満々と水を湛えており、田からの距離も300メートルほどであるから、用水路はほとんど壊れているものの、復旧するにしても不可能ではない。今年こそは作業にとりかかろうかと、また何度目かの(笑)決意を新たにしつつある。


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 堤の堰堤から田を望んだところ。中央遠方の枯れ草色のところがツカダである。足下から水路が(ほとんど壊れているが)続いている。
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by sumiyakist | 2009-04-06 23:05 | 自然と暮らし

下肥運び

 春の最初の農作業はジャガイモの植え付けである。雪が消えるのを待って、時によっては宮の裏から上がってゆく坂道の残雪をスコップで開けて、軽トラックで元肥にする下肥を運ぶ。
 屎尿は良質の肥料であることは誰でも知っているが、いまや農家でも水洗トイレが普及しているから、里(平野部)では下水道にこの良質の肥料を水に流して捨てている(しかも、おカネをかけて!)。山間地でも合併処理などの水洗化が進んでいる。
 私は20数年前にこの家を入手して殆ど自力で改修したのだが、普通の汲み取り式であった便所の改造については、農業雑誌(都市生活者であったときも愛読者だった)で知っていた「サイコン」という名称のコンポスト便所装置を取り付けた。
 原理は、屎尿に何か独特の微生物を添加してあるとかいう「おがくず」を投入して、螺旋状の攪拌装置で混ぜて発酵処理するというものである。
 螺旋構造の攪拌装置はタイマーで制御されていて、一日に一度ないし数度回転して攪拌し、一度だけ(夜中に設定してある)逆回転して混ぜた屎尿を外のタンク(便槽)に搔き出す。タンクには排気筒と電動のファンが取り付けてある。
 臭いもせず良質のコンポスト肥料ができるという触れ込みであった。たしかに、昔ながらの「ぼっとん便所」に比べると、使用感もそれほど悪くないし、下肥の利用という点についても、いったん野壷のような「中間発酵設備」に蓄える必要もないから、合理的な設備である。
 わが家では重宝しているが、残念なことに世間の流れは農村といえども「水洗トイレという文明生活」の方に圧倒的に向いているようで、この装置を製造しているメーカー自体が行き詰まって潰れてしまったらしい。
 当地の友人たちもこの「すぐれもの」を見て何人かが設置しようとしたが、既に代理店も撤退しメーカーとも連絡が取れない状態で残念がっていた。
 メーカーが潰れて特製の微生物入りのおがくずは入手できなくなったが、知り合いの木工所から広葉樹のおがくずを貰って来て、それに自家製の粉炭(木酢液入り)を混ぜて(自動投入装置が壊れてからは)ヒシャクで直接投入するという簡便な方法で運転を続けてきた。
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 写真の「S」のマークがついているのがおがくずを入れておくタンクで、この便所内のボタンを押すとモーターで便器の下に所要量のおがくずが投入される。いまは使っていない。右側が便槽の開口部。フタをあけてヒシャクで汲み取っている。便槽は720リッターの容量。5〜6人家族で3〜4ヶ月で満タンになる計算だという。
 冬の間に溜まった下肥はそっくり畑でジャガイモの元肥になる。下肥のある分だけのジャガイモの作付けができるというわけである。「入るを計って出るを制す」ならぬ、「出るを計ってイモを作す」である(笑)。
 下肥桶や密閉タンクなどを総動員してトラックで畑まで上げ、そのあとは一輪車に積み替えて畝のところまで運ぶ。結構な力仕事で、冬の間に鈍った体のウオーミングアップでもある。
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 どうかすると4月にずれ込むこともある作業なのであるが、少雪のせいで、彼岸頃にはトラクターで畑を起こすという早回りの年になった。
 あちこちで盛んに啼き始めたウグイスなどの野鳥の声を聞きながらの半日の作業である。
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 溝に下肥を入れ終えた畑。軽く土を覆っておき、後日ジャガイモの種芋を適当な大きさに切って植え付けてゆく。
 というわけで、生ごみも屎尿も、わが家では貴重な有機肥料になる。
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by sumiyakist | 2009-03-25 13:30 | 自然と暮らし

早春

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 可燃ゴミの収集は(わが久利須村は)月一度。最初の平日の偶数日。というわけで、3月は2日(月)の写真。先の写真と同じ場所である。さすがに雪は消えた。
 いまのところ出ているのはわが家のものだけだが、先月に出しそびれたので今月は3袋。つまり、ひと月あたり1.5袋である。生ごみは全部堆肥にして畑に戻すし、紙ゴミでも箱などはストーブの火付けに使うから、可燃ゴミは少ない。(容器包装プラの方が多い)。
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 さて、春一番の仕事は、山仕事としては、昨年のうちに倒してあった椎茸の原木を玉切りして運ぶことと薪を集めること。上は薪用の木を運んでいるところ。
 薪は、どうかすると4月の連休が始まる頃にも朝晩などは焚くこともあるが、一日中焚くのは冬期の100日ほど。日に50キロ焚くとしても5トンの薪が必要である。これを次の冬までに用意しなければならない。
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 そんな仕事の合間に、あちこちに出てくるフキノトウを採ったりマンサクの花を探したり。上は咲き始めたマンサク。
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by sumiyakist | 2009-03-09 20:44 | 自然と暮らし