2006年 11月 26日 ( 1 )

クーデター的「新教育基本法」

 これまでは、教育基本法「改正」とか「改悪」とか言ってきたのであるが、よくよく考えると、これは「改正」や「改悪」ではなく、「新教育基本法(案)」と呼ぶべきではないかと思う。
 それは、ちょうど自民党の憲法改正案が「改正」でないのは勿論であるが「改悪」でもなく、クーデター的な「新憲法法案」と呼ぶべきものであるのと同等である。

 日本国憲法がまさしく「憲法」であるのは、国民の側から権力を制約する立憲主義に拠っていることにある。それと同様、現在の教育基本法も(その憲法の兄弟姉妹であるから)、国家権力の教育への介入を禁じる(制約する)、いわば「立憲的教育基本法」なのである。
 そのもっとも明確な部分が、
第10条(教育行政)
 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。
 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。

である。

 しかるに、現在国会で審議されている「改正」案では、これに相当する条文は、
第16条 教育行政
教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。

となっている。

 この「改正案」の真意が奈辺にあるかを過日の参議院特別委員会で伊吹文明文科相の(腰に手を当てた得意のポーズでの)発言に窺うことができる。

c0068917_20542873.jpg伊吹文科相 国権の最高機関である国会が定めた法律、その法律の一部を構成する「告示」、つまり学習指導要領ですね、これで行われる教育は「不当な支配に当たらない」と言うことを今度の法律で明記しているわけですね。

 つまり、法律、あるいはそれに基づいた告示さえ作れば、国家(権力)は教育に介入できる、支配できる(正当な支配である)、と堂々と述べている。これを教育の国家統制といわずしてなんと言おうか。先に述べたように「立憲的(権力制約的)教育基本法」から「権力行使的教育基本法」への転換以外の何ものでもない。「(クーデターによる)新教育基本法」と呼ぶべきであるという所以である。

 教育は、学問の自由や思想信条の自由と同じように、人類普遍の真理性(もちろん、そうはいっても歴史的制約は受けるのであるが)に立脚し、「普遍的人類」の特殊的な現れである「国民全体」にのみ責任を負うものなのであって、特定の政治権力の支配に服するものであってはならないのである。
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by sumiyakist | 2006-11-26 20:58 | 憲法・教育基本法