実録・連合赤軍

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 若松孝二監督が舞台挨拶にくると言うので「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」を観に富山市の映画館・フォルツァ総曲輪へでかけた。
 若松孝二の映画を観るのは実は初めてである。私の年代の人間なら彼の作品の何本かは観ているのが普通だろうが、若松作品に限らず、映画文化そのものが私には遠いものだったということだろう。(そういえば、大学の教養時代に同じクラスで親しかった長谷川和彦氏が、今村昌平監督に「弟子入り」したことまでは知っていたが、その後、話題になる映画を撮ったということさえ長らく知らないでいて、彼の不祥事※のニュースで初めて映画監督をしていることを知ったほどで、人から呆れられたこともあった。)
 さて映画であるが、3時間10分に及ぶ大長編で、60年安保闘争から始まるいわゆる「新左翼」の運動を、実写フィルムをつないでドキュメンタリーとして語りながら次第に赤軍派の武装闘争、連合赤軍の結成、その「銃による殲滅作戦」の準備、浅間山荘事件へと、つまり、ドキュメンタリーから劇映画へと、いわばなだらかにつながってゆく。この虚実のない交ぜも若松監督の工夫でもあるのだろう。
 若松氏は、上映後のトークの中で、この映画を撮ろうと思った最大の動機は、この浅間山荘事件を題材にした映画「突入せよ! あさま山荘事件」が、この問題を一方的に警察の側から描いていることに対する強い怒りであったと述べていた。思想的な共感だけでなく、個人的にも登場人物たちと交友のあった(この事件以後はもちろん、それ以前から交際があった人物もいるという話しも出た)若松氏は、この事件の真実の姿を後世に伝える義務があると自らに命じたのだ。そして、若者たちの側からそれを描ききることには成功したように思われる。(生き延びていれば、あるいは政治家として、あるいは実業家として、またあるいは医師・看護師として、有為な人生を全うしたであろう若き死者たちへの、若松監督なりの鎮魂も成就したというべきか。)
 事実がほぼこの通りだとしても、なぜ、「革命」を目指した青年たちが、心理的にも行動的にも狭い袋小路に次第に入り込んでいってしまい、そしてついには、ある種の狂信的な集団催眠状態に陥って自滅してゆくのか、その「なぜ」は解明されない。
 彼らが、「唯銃主義」ともいうべき暴発に追い込まれていったプロセスと、「総括」という名のリンチに帰結してしまう極端な「精神主義」とを解明しておく必要があるのだが、そうした内面はほとんど語られない。
 この事件の主導者である森恒夫ーー優しい思いやりある青年であった彼が、自らと同志とを「共産主義的人間」たらしめんとして凶暴なリンチの命令者・執行者になってゆく心理過程や、周囲の人間が自己保身の恐怖から抗弁する「勇気」をなくして命令に従うものになってゆく過程こそが、解明されなければならない。

 上の写真が富山市のフォルツァ総曲輪での上映初日に行われたトーク。右は富山出身ということでいっしょに登場した井上助監督。

※<追補>といってもたんなる道路交通法違反であるが。
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by sumiyakist | 2008-09-14 13:52 | その他


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