日本は没落?

c0068917_20165078.jpg  今日の東証大発会は「暴落」と言うべきじゃあないのか? いよいよ日本の終わりの始まりだろうか?
 ペーパー版の「スミヤキスト通信」から。
              *
<巻頭言>日本は没落するのか?
 以前に何かで読んだ覚えがあるのだが、現在の世界中の富(生産力)を、地球上の人びとがみんなで分かち合えば、すべての人は週に一日だけ働けば暮らしてゆけるとのことである。しかしながら現実の世界はというに、富を平等に分け合うどころか、偏在の度合いがますます強まる気配である。中間層が厚く、かつて「一億層中流」幻想が蔓延したわが国においても、所得の偏りを示すといわれるジニ係数は大きくなりつつあり、貧富の差は拡大している。
 生活保護世帯は140万に達するのではないかといわれる。しかもそれは、わが国が生活保護受給に対して非常に厳しい制約を設けている上に、国民の側でもよほどせっぱ詰まらなければ申請をしないという「風土」があってのうえでのことである。都市では「ワーキングプア」と呼ばれる貧困層の存在がひとつの階層化しつつある。健康で文化的な生活を保障した憲法第二五条も空文化しつつある。
 新年の観測記事などでも暗い見通しが多い。そういう見出しの連想から思い出して森嶋通夫著『日本はなぜ没落するか』(一九九九年岩波書店刊)をぱらぱらと再読してみた。前世紀末にこの本が出ていることがいっそう印象深い。
 本書は近代日本の教育・金融・産業・精神を概観し、世の中は人びとによって作り上げられている以上、人の善し悪しがその世界のレベルや質を決定するという、ごく当たり前のことを述べている。そして、現在の日本や近未来である二〇五〇年の日本がどういう人間によって構成されどういう人々のリーダーシップのもとにあるかを述べて、タイトルのような推測をしている。
 もちろん、森嶋氏は没落からまぬかれる「ただ一つの救済案」も最後に提案していた。それは「東北アジア共同体」構想であった。その後、この提案だけに絞った著書(『日本にできることはなにか』)も出したが、要路の人間はほとんど無視したようだった。「政治的イノベーション」を熱く語っていた氏の願望とは全く正反対に、国民は「コイズミ改革」を選んだ。
 氏は〇四年に亡くなった。日本人というのは度し難い国民だと思っていたことだろう。 
 
 
[PR]
by sumiyakist | 2008-01-04 20:28 | 憲法・教育基本法


<< 弁護士より医者をふやすべきだ 新年 >>