フェミニズム裁判

 行政がらみの裁判についてもう一つ取り上げよう。
c0068917_028639.jpg三井マリ子さんという女性がいる(写真左)。思い切り簡単に肩書きを付ければ「フェミニズム運動家」ということになる。とりわけ女性の政治参加といった、政治活動の分野に力点をおいて活動している。ご自身も、かつて東京都議をつとめたこともある。女性の政治参加が進んでいる北欧、とりわけノルウェーの政治や行政については非常に詳しい専門家でもある。
 富山県へも、市民派の女性議員を応援するために何度も来ておられる。殆どの場合、ご自分の運動の一環としてであるから手弁当で、である。
 その三井さんが、豊中市の女性センターの館長に全国公募で選ばれたのは2000年9月のこと。三井さんを知るものとしては、豊中市の目の高さを褒めその僥倖うらやんだものであった。おおかたの予想にたがわず三井さんは次々と事業やイベントを打って、豊中女性センター「すてっぷ」の名を高からしめ市の女性政策に大きな寄与をした。
 ここまではすべて順調で、万々歳ともいうべきところであった。しかし、世の中にはそれを喜ばない人びともいたのである。男女平等(男女共同参画という持って回った言い方もある)の進展を快く思わず、その趨勢を押し返そうという動きをバックラッシュ(反動・逆流)というが、さまざまなレベルでそういう現象が現れている。安倍晋三氏もその主要登場人物であるところの「女性国際戦犯法廷」番組改ざん問題などもその典型的なものである。
 豊中市にも(市議会議員やその支持者)に日本会議系の有力な人物がいて、いろいろな形で三井館長とその活動に対する妨害工作などが始まり、ついには行政はその圧力に負けて三井さんを雇い止め(非常勤で一年ごとの更新という雇用形態だった)することにした。
 しかも、そのためにさまざまな裏工作をした。すなわち、表向きは館長を常勤化するという方針を出して、裏ではすでにある人物に就任を依頼しておきながら、三井さんに対しては常勤館長を公募するかのように説明して応募するように勧めるというあくどい仕打ちをしたのである。
 三井さんはそのやり方を許せないとして裁判を起こすことにしたのである。2005年2月裁判の始まりにあたって、三井さんが支援を訴える「全国ツアー」をしたのだが、その皮切りに富山へ来られた。その時の様子を私がレポートした記事がある。それをお読みいただくと以上のことがだいたいは分かる。
 裁判の経過などはそのホームページやブログをご覧いただくとおわかりいただけるが、2年半あまりの裁判を経て、9月12日に大阪地裁の判決が出されたのであるが、「木で鼻をくくったような」請求棄却の判決であった。

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by sumiyakist | 2007-09-27 00:36 | 裁判批判


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