元裁判官の内部告発

c0068917_21563178.jpg 運動仲間というか、少し年長の知り合いが、『裁判が日本を変える』(生田暉雄著・日本評論社刊 1470円)という本を送ってくれた。8月に出版された新刊である。
 著者の生田暉雄氏は、15年ほど前に、大阪高裁判事を最後に22年間の裁判官生活にピリオドを打ち弁護士になられた方のようである。本書は、そういう経歴の著者による司法の内部告発とでもいうべきものである。
 ヤメ検の弁護士ならざらにいるし、裁判官から弁護士になるというのも珍しくない。また、日本の裁判の批判の本なら既に相当出版されているからこれもさして珍しいことではない。しかし、元裁判官がこれほどの激しさと緻密な方法論を併せもって日本の裁判を批判するというのは、珍しいことではないだろうか。
 裁判というのは、常識的に考えられているように(著者はそれを「マインドコントロールされている」という)、紛争解決の手段なのではなく、国民主権を実現する手段なのであることを強調する。
 そして、ただ現状を批判するだけでなく、タイトルにあるとおり、現行の法廷のルールを現場から壊してゆくような方法で、裁判を提起してゆくことが日本の「官僚社会主義」を打破する近道であると、呼びかけている。
 180ページあまりの手軽な本であるし、(多分)書き下ろしではなく、既存の論考を集めて一書としたように見えるが、内容は濃い。その柱は3本。「裁判員制度批判」「刑事捜査原論」、そして、「ヒラメ裁判官を生み出す司法制度批判ならびに、それを打破するための行政訴訟の勧め、およびその事例紹介」となっている。 
 導入が決まっている裁判員制度については、簡単明瞭にその問題点を挙げて批判している。それはむしろまやかしの「市民参加」であって現在の「官僚裁判官」による司法支配を永続させるための隠蔽策であるとする。
 なんといっても力点は第3の「国民主権実現の方法としての裁判」にある。そもそも、わが国では行政訴訟が少なすぎるという。ドイツでは年間50万件あるというが、わが国では2000件。こういう数字を示されると、市民の権利意識のレベルの差なのであろうかと、いささか情けなくなる。しかも、その行政訴訟たるや、裁判の仕組みにおいても判決においても、圧倒的に被告である行政側が有利である。その司法制度的な原因、あるいは裁判官の任用(昇給・昇進)から来るわけ、などについて元裁判官の著者ならではの見解が示される。
 生田氏がエライのは、氏の主張するところをを市民の運動として実行するために全力で市民の活動をサポートをしている点だろう。愛媛県での「つくる会」教科書採択に際しての行政の介入に対する裁判をはじめ、「新・教育基本法」違憲訴訟など、18本もの訴訟を、「主権者としての国民が行う裁判」に立脚して、裁判の進め方自体を俎上に上げて改革させつつ実行している。もちろん、原告たちは、生田氏のアドバイスを受けながら本人訴訟でも提訴を行っている。
 愛媛県の活動に触発されて杉並区や同じく「つくる会」教科書を採択した大田原市の市民たちが同様な観点と手法で裁判を行っているのも紹介されている。(杉並区の活動についてはインターネット新聞=JANJANでレポートされていたのを読んで関心を持っていたが、その背景にこういう流れがあったことをはじめて知った。)
 また、本書では触れられていないが、市民派の弁護士が不当逮捕されそうだということで抗議活動がネットで行われたことがあるが、その弁護士というのがこのほんの著者=生田暉雄氏だったのだ。
 なるほど、人権派弁護士として、警察や検察はもとより、裁判所からもにらまれ、マスコミからもバッシングを受けている安田好弘弁護士とならんで、権力にとってもっとも目障りな弁護士であり、活動を抑制するためなら合法非合法を問わずあらゆる方策で押さえ込もうとするのもむべなるかなと理解したしだいである。
 世の中にはエライ人がいるものだ。捨てたものではない。
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by sumiyakist | 2007-09-20 22:08 | 知事退職金


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