戒石(いましめいし)
2006年 05月 17日
富山県庁の建物に入る手前の植え込みのなかに写真のような石碑がある。その前に説明のプレートが設置されていて(上の写真で白く見えている)、次のように記されている。
*
「戒石銘」について
この石碑には、
爾(なんじ)の俸(ほう)、爾の禄(ろく)は、民の膏(こう)、民の脂(し)なり。
下民(げみん)は虐(しいた)げやすく、上天は欺(あざむ)き難し
「公務員の給料は、住民が汗を流してあぶらして働いたものから得ている。住民をしいたげることができたとしても、天をだますことはできない」という、公僕に対する戒めの言葉が書かれています。
「戒石銘」の原典は、中国・五代十国時代、後蜀の君主、孟昶(もうちょう)の作による九十六文字の「戒諭辞」に求められ、北宋の君主、太宗がその文中より四句十六文字を抜粋し、郡県の役所の前の石に刻ませたことに始まります。
この石碑は、昭和四十二年に佐伯宗義氏から寄贈されたものです。
平成十五年十一月
富山県」
*
寄贈者とされている佐伯宗義氏は富山地方鉄道を設立経営した経済人であり、代議士としても活躍した人物である。
石碑自体は寄贈された時(吉田実知事の時代)から現在の場所にあったらしいが、この説明プレートを作ったのは中沖前知事の「治世」だから、氏の意向が当然反映していると思われる。 はてさて、氏はこの戒めをなんと読んだのであろうか。
*
「戒石銘」について
この石碑には、
爾(なんじ)の俸(ほう)、爾の禄(ろく)は、民の膏(こう)、民の脂(し)なり。
下民(げみん)は虐(しいた)げやすく、上天は欺(あざむ)き難し
「公務員の給料は、住民が汗を流してあぶらして働いたものから得ている。住民をしいたげることができたとしても、天をだますことはできない」という、公僕に対する戒めの言葉が書かれています。
「戒石銘」の原典は、中国・五代十国時代、後蜀の君主、孟昶(もうちょう)の作による九十六文字の「戒諭辞」に求められ、北宋の君主、太宗がその文中より四句十六文字を抜粋し、郡県の役所の前の石に刻ませたことに始まります。
この石碑は、昭和四十二年に佐伯宗義氏から寄贈されたものです。
平成十五年十一月
富山県」
*
寄贈者とされている佐伯宗義氏は富山地方鉄道を設立経営した経済人であり、代議士としても活躍した人物である。
石碑自体は寄贈された時(吉田実知事の時代)から現在の場所にあったらしいが、この説明プレートを作ったのは中沖前知事の「治世」だから、氏の意向が当然反映していると思われる。 はてさて、氏はこの戒めをなんと読んだのであろうか。
by sumiyakist
| 2006-05-17 14:39
| 知事退職金