朝日新聞・ヤヌスの顔
2006年 03月 08日
3月8日付(富山県)の朝日新聞紙上の辺見庸氏の評論(上掲=部分)について感想を述べる。
まずもって、「小泉劇場政治」を批判するのと同等あるいはそれ以上にマスメディアを批判する辺見氏の論(と私は読む)を「あえて」載せる勇気というか、開き直りに一驚した。感心したというより呆れたのである。
見出しの一つ「後の世に顔向けできるか」は(辺見氏の気持ちを忖度すれば)朝日新聞自体への問いかけ、糾弾でもあるからだ。にもかかわらず、素知らぬ振りをして載せているのは、そうすることで反省を示しているのではなく、自分たち朝日は、この語の「適用外」である、他人事であると装っている(見せかけている=はやりの言葉でいえば、アピアランスしている)のである。
図々しいというか鉄面皮というか・・・。「呆れる」というのはそういう訳である。
それに関連してもうひとつ思い出したことがある。
編集幹部であった(今もあるのか、あるいは高給嘱託なのか知らないが)早野透氏らの筆になる「ニッポン 人・脈・記」が連載されている。氏は、いかにも非戦派であるかのように「アピアランス」して「市民と非戦」の人脈をたどっている。
しかし、氏については私は決して忘れることが出来ない記事と事件とがある。記事というのは、ピースウォークの横をワンカップを片手に歩きながらレポートしたもの(「ポリティカにっぽん」)であり、事件というのは、マスメディアの代表として、読売の橋本五郎・毎日の岸井格成らとともに、小泉首相の招待(であろう多分、これは私の推測)で、赤坂プリンスホテルだったかのレストランで高級ワインを飲んで会食をしていることである。
しかも、少なくともその1回はどういう時であったかというと、イラクで高藤菜穂子さんら3人が人質になったという事件の第1報が小泉首相の携帯電話に入った正にその場面に彼らは立ち会っていたのである。その時首相は、知らせを聞いても顔色も変えず(たぶん何の対応も指示せず)彼らメディアの人間との会食を続けたという。
この歴史的ともいうべき現場に立ち会うことになった早野氏は、当座はその携帯電話から首相の耳に入ったニュースを知るよしもないから仕方ないとしても、その後には直ちにその時の携帯電話の内容を知ることが出来たはずである。この件に関して早野氏は(他のメディア人も当然)沈黙を守っている。
確かに、この内輪の会食のことを露わにしてしまえば、多分オフレコを条件の首相との会食に招かれることは、以後はなくなるだろう。そういう口実で、このビッグニュースを早野氏は墓場まで持ってゆくつもりなのだろう。少なくとも自民党政権が続く限り。しかし、もしも早野氏が端くれであろうとも「ジャーナリス」を自称するなら、この事件をどういう形かで(自分の首と引き替えにでも)記事にするべきだったと思う。
そういうわけで、この記事と事件のことは、忘れがたいのである。朝日新聞の狡猾さ、ヤヌスのような二面性を象徴する出来事として。ゆくりなくも、辺見庸氏の評論を朝日紙上に見いだしてそんなことを考えたことである。
by sumiyakist
| 2006-03-08 22:57
| マスメディア