ブログはマスメディアの木鐸である

 ブログというものは、まさに玉石混淆であるが、新聞・テレビなどのマスメディアが腑抜けになってしまった現在、「ブログはマスメディアの木鐸である」(ブログ週間標語!?)。
 たとえば、ライブドア事件のことを深く知り、かつ考えるには「世に倦む日々」「きっこの日記」は欠かせない。また、小泉純一郎という人物の実像は西尾幹二氏のブログが正鵠を得ているような気がする(ただし、そのほかの多くのことに関しては西尾氏とは相当意見を異にするが)。
 それだけでなく、はっきりとメディア批判を表に掲げたブログも数多く存在する。そういう意味で、まさしく「メディアの木鐸」なのである。
 新聞、とりわけ朝日の不甲斐なさには腹立たしい思いばかりしている。最近では例の、NHK・安倍・中川連合軍とのバトルでの腰砕けぶりである。
 60年安保闘争の頃を思い出すまでもなく、肝心の時には立たなくなるという、この新聞のED症候群は今に始まったことではないから、もうあまり期待もしないのであるが、それでも腹立たしさが昂じてくると「声」欄であろうと、「天声人語」子宛てであろうと、意見を送りつけることがある。もちろん、掲載されることも返事がくることもない。
 自分の精神衛生を考えるならさっさと購読を止めればいいんだろうが、半世紀以上も続いてきた惰性はなかなか止めがたいというのも実感である。
 下は、そういうような中途半端な生煮え状態で、過日「声」欄宛てに送ったものである(元原稿にあった注記は省略した)。ブログに載せて「証拠保全」を図ることを思いついた。
                   *
 2月4日付けの「私の視点・ウィークエンド」に田原総一朗氏の寄稿(投稿?)があった。その内容にも反論したいところはいくつかあるが、それよりも、マスメディアの支配的な立場で発言の場をたくさん持っている田原氏の「視点」に、わざわざ朝日新聞が貴重な紙面を提供することの意味を考え(深読みし)てしまった。氏はつい先日も外国通信社の特派員を前に全く同じような内容を喋っていたばかりである。
 いったい朝日新聞は何を考えているのであろうか? それとも、何も考えていないのか(笑)。それが知りたい。
 氏についていえば、「小泉流」の、何度も繰り返せば信憑性が増すとでもいうかのような言い訳をあちこちでせずに、なりふり構わず「稼ぐが勝ち成金」ホリエモンを「なりふり構わず」持ち上げた不明を徹底的に自己批判してからマスコミで発言してほしいものだ。

[PR]
by sumiyakist | 2006-02-20 21:36 | マスメディア


<< 朝日新聞・ヤヌスの顔 市民オンブズ連合V.Sゼネコン >>