川崎磯信
2005年 11月 24日
「川崎さんはどうしてる?」と、たまに訊かれることがある。婦中町(いまは合併して富山市婦中町)の元ヤミ米商・川崎磯信氏である。いまはまた、ヤミ米(不正規流通米)というものもなくなって、「自由米」という立派な名称を得た。で、「元」を付けた。
一時期は「平成米騒動」の時の人であったからご記憶のかたもあろう。食糧庁に出向いて自らの食管法違反を告発せよと迫った人物である。私はたまたま、その行動や人となりを、右の写真『オラを告発しろ! ヤミ米商・川崎磯信奮戦記』(1992年・桂書房)で紹介することになり、その後も、いわば「同志的」つき合いをしてきた。
「元気で頑張ってるよ」と私は応える。実際、今も自ら米を作り、富山の市街地に店舗を構えて米を売っている。もちろん、「役人殺し」ブランドのどぶろくも作って売っている。左の本人の写真はごく最近のものである。
「米騒動」に関しては、食管法違反で300万円の罰金を科せられて法律上は敗北したことになる。が、しかし実際は、片田舎の新制中学卒のひとりの百姓が、戦前から続く戦時法制というべき食管法を廃止させ1万6千人の食糧庁を解体させたといっていいのである。
「役人とケンカをするのが生き甲斐」と常々公言するとおり、その後もネタを見つけては行政相手に(主に裁判所という上品な場所であるが)ケンカを繰り広げてきた。
目下は(旧)婦中町が住民投票の結果に反して、しかも、町長の専決処分という強引な手法で富山市と無理矢理合併したことにまつわる陰の部分を明るみに出すべく奮闘している。
by sumiyakist
| 2005-11-24 08:41
| 地方自治