井戸謙一元裁判官
2011年 08月 22日
これもまた旧聞に属するけれども書き留めておかねばならないことのひとつ。
北陸電力志賀原子力発電所2号機の差し止め訴訟(私も原告に加わっていた)第1審である金沢地裁で、原告勝訴、すなわち原発の運転差し止め判決が出されたことがある。2006年3月のことだった。
その時の裁判長が井戸謙一氏であった。先のブログに書いたように、氏は金沢地裁在任中に私の知る限りでも画期的な3つの判決を書いている。(この原発運転差し止め判決のほかに、住基ネットに違憲判決を出し、市民オンブズつばたが公共事業の談合を訴えた訴訟で原告勝訴の判決を書いた。)
行政を相手取った住民の訴訟において、原告(=住民側)勝訴の判決を出すのは、裁判官にとっては容易なことではない。現在のわが国の司法行政においては、司法官としての立身出世を諦めるということである。
志賀原発差し止め訴訟は、行政訴訟ではなく北陸電力を相手取った民事訴訟ではあるけれど、原発推進という「国策」を背負った電力会社というのは、行政以上の権力体である。
いくつかの先例があるとおり、井戸謙一氏もその後「冷や飯」を食わされ続けたようである。原発差し止め判決のあと金沢地裁から京都地裁へ移ったという情報を得たが、やはり、京都とは名ばかりで宮津だったかの支部であるらしいと聞いた。
井戸判事のその後を、裁判官を検索する新日本法規出版の法律情報サイトで確認すると、平成18年(2006年)に京都地裁判事、京都簡裁判事に就き、22年(2010年)には大阪高裁判事に栄転したように見えるけれども、そのあとに「大阪簡裁判事」とあるから、やはり簡易裁判所が勤務地のようである。地裁判事ならともかく高裁の判事が簡易裁判所に勤務するという例は普通にあることなのだろうか?
いまはどうか知らないが、かつて簡易裁判所判事というのは、司法試験を経ずに、書記官などの事務官から年功と内部試験によって昇進できる「判事」であって、配下の職員からも陰では「カンパン」といささか侮蔑的な呼称で呼ばれていたこともある。所長とはいえ、そういう部署のトップであるから、どこの支部の簡裁かは知らないが、いずれにしても、冷や飯組に間違いはない。
「もはやこれまで」と思われたのであろうか、今年の3月には依願退職し、彦根で弁護士を開業されたらしい。
そんな情報を何となく知っていた時に、6月の3日になって、朝日新聞が紙面1ページ全部を使って井戸元判事のインタビューを載せた。(上の写真は朝日の記事を転載した阿修羅から借用)。
司法行政の中で「冷や飯」を食わされたことに、特段恨みをいうでなく、淡々と原発裁判のことも述べている。大きな人物だということが分かる。
それに引きかえ、金沢地裁での3つの井戸判決を高裁(名古屋高裁金沢支部)でひっくり返した2人の判事はといえば、長門栄吉氏は、平成19年に岡山家庭裁判所判事(所長)、21年からは福井地裁・家裁判事(所長)と順調にご出世(だろう多分)、もう一人の渡辺修明氏も20年に名古屋高裁金沢支部長、22年から名古屋高裁部総括判事(とこれも順調なのだろう、たぶん)。時々ご出世ぶりを確認させて貰おう。
原発訴訟問題についてはあらためて考えてみたい。
北陸電力志賀原子力発電所2号機の差し止め訴訟(私も原告に加わっていた)第1審である金沢地裁で、原告勝訴、すなわち原発の運転差し止め判決が出されたことがある。2006年3月のことだった。
その時の裁判長が井戸謙一氏であった。先のブログに書いたように、氏は金沢地裁在任中に私の知る限りでも画期的な3つの判決を書いている。(この原発運転差し止め判決のほかに、住基ネットに違憲判決を出し、市民オンブズつばたが公共事業の談合を訴えた訴訟で原告勝訴の判決を書いた。)
行政を相手取った住民の訴訟において、原告(=住民側)勝訴の判決を出すのは、裁判官にとっては容易なことではない。現在のわが国の司法行政においては、司法官としての立身出世を諦めるということである。
志賀原発差し止め訴訟は、行政訴訟ではなく北陸電力を相手取った民事訴訟ではあるけれど、原発推進という「国策」を背負った電力会社というのは、行政以上の権力体である。
いくつかの先例があるとおり、井戸謙一氏もその後「冷や飯」を食わされ続けたようである。原発差し止め判決のあと金沢地裁から京都地裁へ移ったという情報を得たが、やはり、京都とは名ばかりで宮津だったかの支部であるらしいと聞いた。
井戸判事のその後を、裁判官を検索する新日本法規出版の法律情報サイトで確認すると、平成18年(2006年)に京都地裁判事、京都簡裁判事に就き、22年(2010年)には大阪高裁判事に栄転したように見えるけれども、そのあとに「大阪簡裁判事」とあるから、やはり簡易裁判所が勤務地のようである。地裁判事ならともかく高裁の判事が簡易裁判所に勤務するという例は普通にあることなのだろうか?
いまはどうか知らないが、かつて簡易裁判所判事というのは、司法試験を経ずに、書記官などの事務官から年功と内部試験によって昇進できる「判事」であって、配下の職員からも陰では「カンパン」といささか侮蔑的な呼称で呼ばれていたこともある。所長とはいえ、そういう部署のトップであるから、どこの支部の簡裁かは知らないが、いずれにしても、冷や飯組に間違いはない。
「もはやこれまで」と思われたのであろうか、今年の3月には依願退職し、彦根で弁護士を開業されたらしい。
そんな情報を何となく知っていた時に、6月の3日になって、朝日新聞が紙面1ページ全部を使って井戸元判事のインタビューを載せた。(上の写真は朝日の記事を転載した阿修羅から借用)。
司法行政の中で「冷や飯」を食わされたことに、特段恨みをいうでなく、淡々と原発裁判のことも述べている。大きな人物だということが分かる。
それに引きかえ、金沢地裁での3つの井戸判決を高裁(名古屋高裁金沢支部)でひっくり返した2人の判事はといえば、長門栄吉氏は、平成19年に岡山家庭裁判所判事(所長)、21年からは福井地裁・家裁判事(所長)と順調にご出世(だろう多分)、もう一人の渡辺修明氏も20年に名古屋高裁金沢支部長、22年から名古屋高裁部総括判事(とこれも順調なのだろう、たぶん)。時々ご出世ぶりを確認させて貰おう。
原発訴訟問題についてはあらためて考えてみたい。
by sumiyakist
| 2011-08-22 20:29
| 原子力発電