ゴミ行政の転換
2009年 01月 25日
しばらくゴミ処理問題を取り上げてゆこうと思う。
わが町・小矢部市では十数年も前のこと、焼却処分場が老朽化したので新たに建設する計画があった。「ノット・イン・マイ・バックヤード」の抵抗もあったろうに、新たな立地も決定していた。そこにいたるまでの経緯は、私の知るところではない。ともかく、人口3万5千人程度の市であるから、日量30トンか35トン程度の焼却炉を建設する予定であった。
しかし、それが急転直下、計画取りやめになり、高岡地区広域圏として大型の施設を建設してそれに加わるということになったのである。そのことを理解するためには少し回り道をして、わが国の、とりわけダイオキシンという物質に対する認識(=対応)の変化を辿らねばならない。
当時からすでに環境保護派(私もその一員のつもりであった)は、日本の廃棄物処理が焼却一辺倒であること、その結果、環境中に排出され蓄積されたダイオキシンが世界水準でも頭抜けた状況であることなどをあげて焼却主義から転換すべきことを主張していた。
国際的な環境保護団体であるグリンピースが、特にわが国の焼却主義を取り上げて批判する行動を行っていた時代でもある。県内の新湊港へも髑髏マーク(DYOXINのXが海賊船の髑髏マークにまねてあった)の旗を掲げた「虹の戦士号」が入港してキャンペーンを行っていたこともある。
有吉佐和子の『複合汚染』もレイチェル・カーソンの『沈黙の春』ももちろん読まれてはいたが、世間は(まして行政は)、いまだにゴミは燃やして埋めるものだと漫然と考えていた状況であった。
そういう世間の状況が劇的に変化したのは、私の印象では二つ出来事による。ひとつは、保守派の拠点ともいうべき神社庁が傘下の神社に対して、正月の注連飾りなどを燃やすこと(どんど、左義長)を止めるように通達を出したこと。いまひとつはテレビ朝日の「ニュースステーション」で、いわゆる「所沢ほうれん草」が取り上げられたこと(1999年2月1日)、である。
神社庁というのは、いわば草の根保守主義の本拠地と言うべき存在であり、政治的には当然右翼的な立場をとってきた。したがって、環境派がどちらかといえば政治的には左翼的色彩が強いのに対して、神社庁は環境問題にかんしても「保守的」な立場であると思われてきた。それが、一転して「脱焼却」を主張し始めることになったのは、いわゆる環境ホルモンの影響によって、生物界全体にわたってオスのメス化や受胎不全の現象が起きているという多くの生物学者の研究結果を深刻に受け止めたからであろうと、私はにらんでいる。つまり、ダイオキシンなど環境ホルモンの影響による「民族の危機」を感じたのであろう。この神社庁の転換は唐突であったが、それだけに保守的(環境問題にも政治的にも)な勢力には大きな影響を与えたように思う。
また、ニュースステーションでの「所沢(ダイオキシン汚染)ほうれん草」報道も、所沢市周辺に集まっている産廃焼却場から排出されるダイオキシンの問題を取り上げるのに、茶の木の葉とほうれん草とを混同するといった分析手法に問題があって、後には農業関係者との訴訟にまでなりテレビ朝日側が全面的に詫びを入れることになるのであるが、ダイオキシンが庶民の生活環境に溢れていることに対する警告としては、大きなショックを与えた。
この二つの出来事を契機として、わが国のダイオキシンに対する、すなわちゴミ焼却主義に対する世論が急激に変化した。(「羮に懲りて膾を吹く」たぐいの行き過ぎた現象が現れることもあるが、それもまたいつものことである。)
こういう社会状況を受けて、廃棄物行政も急変した。地方自治体のゴミ処理に対する指導監督は厚生省(当時)の管轄なのであるが、ダイオキシン対策が最優先されることになり、運転中の焼却炉のダイオキシン排出基準が厳しくなり、自治体はその対応に追われることになった。
排出ガス中に含まれるダイオキシンを捕捉するためにバグフィルターを取り付けたり、活性炭を投入したり、あるいは焼却温度を上げて運転したりと、まさにてんやわんやの状態であった。
ダイオキシンは比較的低温(300度前後)で燃えた時に発生しやすいとされるから、炉の温度を800度〜1000度に保てば問題ないとされ、したがって、点火・消火時にはどうしても低温になるから、24時間連続焼却するのが最善とされることになった。
また、塩化ビニール(塩ビ)をはじめとするプラスチック類の焼却がとりわけダイオキシンの発生に結びつくとされ、プラスチック類の分別・リサイクルという社会的な気運を大きくしたことは、多くの人が知っているだろう。
さて、こういうゴミ問題にかんする社会状況の変化、それを受けての廃棄物行政の方針転換によって、着手寸前になっていたわが小矢部市の焼却炉建設計画は頓挫することとなった。
すなわち、新規の焼却炉建設は日量100トン以上、24時間連続燃焼、という厚生省の方針を受けて、富山県は県内のゴミ処分場を4つに集約する方針を出したからである。新川地区・富山地区・高岡地区・砺波地区の4カ所である。
小矢部市は単独の施設建設計画を破棄して、高岡地区広域圏に加わることになったのである。
わが町・小矢部市では十数年も前のこと、焼却処分場が老朽化したので新たに建設する計画があった。「ノット・イン・マイ・バックヤード」の抵抗もあったろうに、新たな立地も決定していた。そこにいたるまでの経緯は、私の知るところではない。ともかく、人口3万5千人程度の市であるから、日量30トンか35トン程度の焼却炉を建設する予定であった。
しかし、それが急転直下、計画取りやめになり、高岡地区広域圏として大型の施設を建設してそれに加わるということになったのである。そのことを理解するためには少し回り道をして、わが国の、とりわけダイオキシンという物質に対する認識(=対応)の変化を辿らねばならない。
当時からすでに環境保護派(私もその一員のつもりであった)は、日本の廃棄物処理が焼却一辺倒であること、その結果、環境中に排出され蓄積されたダイオキシンが世界水準でも頭抜けた状況であることなどをあげて焼却主義から転換すべきことを主張していた。
国際的な環境保護団体であるグリンピースが、特にわが国の焼却主義を取り上げて批判する行動を行っていた時代でもある。県内の新湊港へも髑髏マーク(DYOXINのXが海賊船の髑髏マークにまねてあった)の旗を掲げた「虹の戦士号」が入港してキャンペーンを行っていたこともある。
有吉佐和子の『複合汚染』もレイチェル・カーソンの『沈黙の春』ももちろん読まれてはいたが、世間は(まして行政は)、いまだにゴミは燃やして埋めるものだと漫然と考えていた状況であった。
そういう世間の状況が劇的に変化したのは、私の印象では二つ出来事による。ひとつは、保守派の拠点ともいうべき神社庁が傘下の神社に対して、正月の注連飾りなどを燃やすこと(どんど、左義長)を止めるように通達を出したこと。いまひとつはテレビ朝日の「ニュースステーション」で、いわゆる「所沢ほうれん草」が取り上げられたこと(1999年2月1日)、である。
神社庁というのは、いわば草の根保守主義の本拠地と言うべき存在であり、政治的には当然右翼的な立場をとってきた。したがって、環境派がどちらかといえば政治的には左翼的色彩が強いのに対して、神社庁は環境問題にかんしても「保守的」な立場であると思われてきた。それが、一転して「脱焼却」を主張し始めることになったのは、いわゆる環境ホルモンの影響によって、生物界全体にわたってオスのメス化や受胎不全の現象が起きているという多くの生物学者の研究結果を深刻に受け止めたからであろうと、私はにらんでいる。つまり、ダイオキシンなど環境ホルモンの影響による「民族の危機」を感じたのであろう。この神社庁の転換は唐突であったが、それだけに保守的(環境問題にも政治的にも)な勢力には大きな影響を与えたように思う。
また、ニュースステーションでの「所沢(ダイオキシン汚染)ほうれん草」報道も、所沢市周辺に集まっている産廃焼却場から排出されるダイオキシンの問題を取り上げるのに、茶の木の葉とほうれん草とを混同するといった分析手法に問題があって、後には農業関係者との訴訟にまでなりテレビ朝日側が全面的に詫びを入れることになるのであるが、ダイオキシンが庶民の生活環境に溢れていることに対する警告としては、大きなショックを与えた。
この二つの出来事を契機として、わが国のダイオキシンに対する、すなわちゴミ焼却主義に対する世論が急激に変化した。(「羮に懲りて膾を吹く」たぐいの行き過ぎた現象が現れることもあるが、それもまたいつものことである。)
こういう社会状況を受けて、廃棄物行政も急変した。地方自治体のゴミ処理に対する指導監督は厚生省(当時)の管轄なのであるが、ダイオキシン対策が最優先されることになり、運転中の焼却炉のダイオキシン排出基準が厳しくなり、自治体はその対応に追われることになった。
排出ガス中に含まれるダイオキシンを捕捉するためにバグフィルターを取り付けたり、活性炭を投入したり、あるいは焼却温度を上げて運転したりと、まさにてんやわんやの状態であった。
ダイオキシンは比較的低温(300度前後)で燃えた時に発生しやすいとされるから、炉の温度を800度〜1000度に保てば問題ないとされ、したがって、点火・消火時にはどうしても低温になるから、24時間連続焼却するのが最善とされることになった。
また、塩化ビニール(塩ビ)をはじめとするプラスチック類の焼却がとりわけダイオキシンの発生に結びつくとされ、プラスチック類の分別・リサイクルという社会的な気運を大きくしたことは、多くの人が知っているだろう。
さて、こういうゴミ問題にかんする社会状況の変化、それを受けての廃棄物行政の方針転換によって、着手寸前になっていたわが小矢部市の焼却炉建設計画は頓挫することとなった。
すなわち、新規の焼却炉建設は日量100トン以上、24時間連続燃焼、という厚生省の方針を受けて、富山県は県内のゴミ処分場を4つに集約する方針を出したからである。新川地区・富山地区・高岡地区・砺波地区の4カ所である。
小矢部市は単独の施設建設計画を破棄して、高岡地区広域圏に加わることになったのである。
by sumiyakist
| 2009-01-25 11:01
| 地方自治