生かさぬよう殺さぬよう

 今年の通信の巻頭言を読み直していて、一昨年(07年)のそれのことを思い出した。あれから2年経った年末年始の「派遣村」の報道を見ていて、現状がその延長線上にぴったり来ているのは驚くほどだ。その巻頭言を再掲する。
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 <巻頭言> 生かさぬよう殺さぬよう
 小泉純一郎氏自身、スタート時は半年も保つかどうか半信半疑でもあっただろう政権が、アメリカの後押しとマスコミの全面的な援護を得て高支持率のまま五年余りも続いた。その遺産が半分、あと半分は金正日将軍様の「おかげ」で、安倍晋三や中川昭一という極右政治家といったほうがいいような人物が政治の中心軸に位置することとなった。コイズミ以前には想像もできなかった構図だ。

 経済分野では、アメリカから突きつけられた「年次改革要望書」を小泉(竹中)構造改革という名で実行することによって、ほとんどアメリカの51番目の州といっていいくらい、アメリカの経済システム=グローバリズムと地続きになりつつある。その結果、日本社会は国際金融資本の草刈り場の様相を呈している。ハゲタカファンドやら機関投資家やらグローバル企業やら、それを利用しそれに利用される国内の有象無象やら、まさに百鬼夜行、「国富消尽」(同名書=吉川元忠・関岡英之共著)のまっただ中である。

 かくして、文化的には右翼国粋主義の復活、政治・経済両面ではアメリカの属国化という、奇怪なアマルガム国家が成立しつつある。無能な二世三世政治家と狡猾な官僚、志操なき経済人・学者が国を滅ぼす図か。(民が残れば国など滅びてもいいんだが、そうはいかないから困る。)
 「ワーキングプア」が昨年の流行語になった。派遣労働・請負労働など非正規雇用の拡大と、その一方での裁量労働制、過労死に至るまでの労働強化が広がっている。追い打ちをかけるようにホワイトカラー・エグゼンプションと来た。かつての「モーレツ社員」の言葉が牧歌的に響くほどである。

 キャノンのトップであり日本経団連の会長でもある御手洗冨士夫氏は、自社工場での偽装請負の批判を受けると、「(偽装だという批判は)法律が間違っているからだ」と開き直る。呆れるほかない。

 金融法制、会社法制、労働法制と、剥き出しの凶暴な資本主義システムへの後退(進化?)は、いわゆる社会主義思想の衰退によることはまちがいない。なんだかんだ言っても「労働者の祖国」としての社会主義体制の存在(一国社会主義国家群)が資本主義国における労働者・市民の諸権利を下支えしていたことが証明されたと思うのであるが、そういう指摘は論壇では禁句ででもあるかのように、決してお目にかかることはない。死んだ子の歳を数えても仕方ないということか。

 ひろく近代の人権思想一般についても、現実的な力としてはルソーからマルクスに代表されるような社会思想を根底にしていたから、その現実が失われてしまえば、資本主義の悪に対抗する思想の物理力が失われる。労働者は「生かさぬよう殺さぬよう」の世界へ回帰したかのようだ。
 私の関心は「後・近代(ポストモダン)」にあるのだが、ここまで「前近代」的状況が露骨になると、まず「近代の奪回」を目指さねばならないのか。
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by sumiyakist | 2009-01-10 21:53 | 憲法・教育基本法


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