カジノ資本主義の次に来るもの

 このごろよく言うこと。「20年以上も炭焼きをやってきたが、これがやき物かなにかを焼いてきたのなら、いまごろはもう先生だけど、炭だからいつまでたってもただの炭焼き(笑)。」

 じっさい、炭焼きというショーバイがこんなに続くとは思わなかった。山で暮らし始めるにあたってたまたま遭遇したのが炭焼きという仕事。紹介してもらって出会った隣村の炭焼きさん「ムカイのおじじ」(=田畑のじいちゃん)は、その時ちょうど80歳。私が40歳を過ぎたところで、単純に「80のじいさんになっても出来る仕事ならあと40年間も出来るわけだ」と変に納得して弟子入りしたのである。はやその半分以上が過ぎた勘定になる。あと20年も同じように続けることが出来るかどうか、必ずしも自信はないが、けっこう性に合ったか、まだまだ当分やれそうである。(ちなみに、わが師「ムカイのおじじ」は90歳ころまで現役で炭を焼いていた。)

 実体経済といえばこれ以上実体的なものはない。自然物としての立木を自分で伐ってきて炭に焼く。炭を火鉢なりイロリなりに置いて火をつけると炭の燃焼によって熱エネルギーが放出される。それ以上でも以下でもない。私の場合、問屋だとか小売りだとかの流通経路もないから、直接の顧客との関係があるだけがある。「商品」のもっとも原初的な形態。自然が商品に形を変えるまさにその現場に立ち会う毎日ということになる。

 100年に一度の経済危機だとか、大恐慌の再来だとかいっているが、そもそも実体経済とかけ離れた金融工学=カジノ資本主義の失敗なのである。昔の(今もそうかもしれないが)博奕打ちは、賭場の勝負は賭場だけで完結させたものであろう。自分らの博奕の勝ち負けで堅気(かたぎ)の世界に迷惑をかけるなんぞは、博徒の風上におけないのではないか。

 実物経済だけが真実の経済であると極論をいうつもりはないが、アメリカが主導してきた「金融資本主義」「カジノ資本主義」が根底から自壊現象を起こしていることは誰しも認めざるをえない。

 かといって、資本主義に倫理を求めるのはオオカミに菜食主義を要求するようなものだ。本当に世の中に「倫理」を貫徹させようとするなら資本主義を廃絶するしかないのだろうが、ことは簡単ではない。資本主義というのは実際は「主義(イデオロギー)」ではなく、ヒトの自然性に根拠をおいているからである。それは仏教的な言葉を借りれば、「無明」から立ち上がってくる制度であるから、表層の社会システムのように簡単に替えるわけにはいかない。

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 以上が年賀状代わりの紙版の「スミヤキスト通信」に書いた巻頭言。
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by sumiyakist | 2009-01-03 17:40 | 自然と暮らし


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