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さよなら原発6万人集会・東京

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 9月19日、東京の明治公園で脱原発をめざす「さようなら原発」5万人集会が開かれた。
 富山からも平和運動センターが貸し切りバス3台を手配したというので、われわれ市民グループも便乗させてもらった。早朝に高岡・富山・魚津をそれぞれ出発し、車中で弁当を食べて1時過ぎに会場である明治公園に到着。
 雨の心配はなくなったが、暑い。ものすごい人の波。のぼり旗を目印に紛れないようについて行くのが精一杯。団体の性格ごとに大まかに指定された会場の一角にようやくたどり着く。(上の写真はネットで借用したものにわれわれの所在を書き込んだもの)

 どうにか地面に座ることができて開会となるが、場所が悪いために音声が反響して聞こえづらいし、壇上の話し手の姿も殆ど見えない。発言者は鎌田慧、大江健三郎、落合恵子、内橋克人、澤地久枝、フーベルト・ヴアイガー、山本太郎、武藤類子の各氏。

OurPlanet-TVがユーチューブに出してくれた映像を下に埋め込む。


 最後の武藤類子さんは福島県からきた「福島廃炉アクション」のメンバーの一人。涙なしに聞けない話だった。「私たちは静かに怒りを燃やす<東北の鬼>です」の言葉が心に残った。

 集会の途中で、会場に入りきれず公園の外に溢れている人もあって、参加者は6万人であると報告があった。3・11以後、たぶん最大の集会だろう。

 集会のあと、デモ(パレード)に出て行くのがたいへん。3方向に分かれての行進だが、警察が行進を短い単位に分断し交通整理しやすくしようとするせいでハケが悪い。われわれは最も短いコースで早い順番で出発することができたので比較的楽にデモをすることができた。
 特に事故や警備との衝突などの話は聞かなかった。
 それどころか、われわれの参加者の一人(男性)は、警備の警察官から「ごくろうさま」とねぎらいの言葉をかけられたという。
 警察官も人の子、昨今のことだから当然、「脱原発」派も多いことだろう。

 明るいうちにバスに乗り込んで帰途に。6時間半ほどで帰着。疲れはしたが、充実感のある一日だった。

 主催者である「さようなら原発1000万人アクション」は、1000万人の署名活動を進めている。
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# by sumiyakist | 2011-09-21 10:07 | 原子力発電

井戸謙一元裁判官

 これもまた旧聞に属するけれども書き留めておかねばならないことのひとつ。

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 北陸電力志賀原子力発電所2号機の差し止め訴訟(私も原告に加わっていた)第1審である金沢地裁で、原告勝訴、すなわち原発の運転差し止め判決が出されたことがある。2006年3月のことだった。

 その時の裁判長が井戸謙一氏であった。先のブログに書いたように、氏は金沢地裁在任中に私の知る限りでも画期的な3つの判決を書いている。(この原発運転差し止め判決のほかに、住基ネットに違憲判決を出し、市民オンブズつばたが公共事業の談合を訴えた訴訟で原告勝訴の判決を書いた。)

 行政を相手取った住民の訴訟において、原告(=住民側)勝訴の判決を出すのは、裁判官にとっては容易なことではない。現在のわが国の司法行政においては、司法官としての立身出世を諦めるということである。
 志賀原発差し止め訴訟は、行政訴訟ではなく北陸電力を相手取った民事訴訟ではあるけれど、原発推進という「国策」を背負った電力会社というのは、行政以上の権力体である。
 いくつかの先例があるとおり、井戸謙一氏もその後「冷や飯」を食わされ続けたようである。原発差し止め判決のあと金沢地裁から京都地裁へ移ったという情報を得たが、やはり、京都とは名ばかりで宮津だったかの支部であるらしいと聞いた。

 井戸判事のその後を、裁判官を検索する新日本法規出版の法律情報サイトで確認すると、平成18年(2006年)に京都地裁判事、京都簡裁判事に就き、22年(2010年)には大阪高裁判事に栄転したように見えるけれども、そのあとに「大阪簡裁判事」とあるから、やはり簡易裁判所が勤務地のようである。地裁判事ならともかく高裁の判事が簡易裁判所に勤務するという例は普通にあることなのだろうか? 
 いまはどうか知らないが、かつて簡易裁判所判事というのは、司法試験を経ずに、書記官などの事務官から年功と内部試験によって昇進できる「判事」であって、配下の職員からも陰では「カンパン」といささか侮蔑的な呼称で呼ばれていたこともある。所長とはいえ、そういう部署のトップであるから、どこの支部の簡裁かは知らないが、いずれにしても、冷や飯組に間違いはない。

 「もはやこれまで」と思われたのであろうか、今年の3月には依願退職し、彦根で弁護士を開業されたらしい。

 そんな情報を何となく知っていた時に、6月の3日になって、朝日新聞が紙面1ページ全部を使って井戸元判事のインタビューを載せた。(上の写真は朝日の記事を転載した阿修羅から借用)。
 司法行政の中で「冷や飯」を食わされたことに、特段恨みをいうでなく、淡々と原発裁判のことも述べている。大きな人物だということが分かる。

 それに引きかえ、金沢地裁での3つの井戸判決を高裁(名古屋高裁金沢支部)でひっくり返した2人の判事はといえば、長門栄吉氏は、平成19年に岡山家庭裁判所判事(所長)、21年からは福井地裁・家裁判事(所長)と順調にご出世(だろう多分)、もう一人の渡辺修明氏も20年に名古屋高裁金沢支部長、22年から名古屋高裁部総括判事(とこれも順調なのだろう、たぶん)。時々ご出世ぶりを確認させて貰おう。

 原発訴訟問題についてはあらためて考えてみたい。
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# by sumiyakist | 2011-08-22 20:29 | 原子力発電

韓国・市民平和通信使

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 8月13日(土)コリア・プロジェクト@とやまと、不二越女子勤労挺身隊訴訟支援北陸連絡会の主催で、韓国からの「平和通信使」を迎えるイベントを富山市の韓国会館で開いた。平和通信使の趣旨は末尾に掲載するが、昨年の韓国併合100年(韓国朝鮮がわからすると「日帝強占100年」)にちなんでわが国でも韓国でもさまざまな取り組みが市民レベルで行われた。

 富山でも、われわれコリアプロジェクト@とやまが主催して、のべにすると10回くらいの連続講座を開いた。

 そうした活動の全国規模で行われたもののひとつに<「韓国併合」100年市民ネットワーク>などもあり、その活動のひとつとして

「日本と朝鮮半島に暮らす人々の間で、相互理解を深めるため、相互訪問し、直接に交流することを勧める。そのため、歴史探訪の旅、修学旅行、市民団体の訪問および意見交換、ホームステイ等を勧める。さらに、ともに汗を流すような共同の企画を立て、実行するよう促す。」

とある。
 もっともそれ以前から、憲法や平和などを主題にして、さまざまな市民レベルの交流事業が取り組まれてきている。わが国から若い人たちが日本国憲法9条を訴えながら韓国国内を歩いて旅をして文字通り草の根の交流をしたグループもある。

「朝鮮通信使」というのは、遠くは室町時代から始まり、もっとも盛大なものとしては江戸期のものがよく知られている。通信使は、将軍の代替わりや世継ぎの誕生に際して、朝鮮国王の祝賀使節として派遣されるようになった。計12回の通信使が派遣されているという過去の歴史的なことがらである。

 今回の事業は「平和市民通信使」と銘打たれているように、いうまでもなく国家はまったく度外視した市民レベルの交流である。
 韓国から6人、日本の随行が2人の計8人の「通信使」一行は、この日、朝に京都を発ち、金沢で尹奉吉(ユン・ボンギル)義士の暗葬地や慰霊碑を訪問し、夕刻に富山入りした。
 韓国会館5階のホールを借りて、歓迎と交流の一夕を持った次第である。

 翌日は不二越本社などを見て、長野県へ向かい、松代大本営などを実見する予定。

 お粗末な政治家たちが竹島問題で騒いで韓国へ渡ったり追い返されたりしているようだが、市民レベルではいくつもの草の根交流が着々と進んでいる。
 
 わが「コリア・プロジェクト@とやま」でも10月下旬に韓国へのスタディツアーを計画している。

2011年 平和通信使日本訪問 主旨文(草案)

2010年は、韓(朝鮮)半島が日本帝国主義によって強制占領されて100年になる年であった。19世紀後半から20世紀前半期に、西欧と日本による帝国主義的侵略と植民支配、戦争を体験した東アジアと韓日両国は、長い間近い隣人として共存してきた。長い期間、交流と協力があったし、短い期間、侵略と支配、戦争と葛藤の歴史もあった。
21世紀に入り中国の浮上と共に、東アジアは世界経済の活力として急浮上しているだけでなく、政治、社会、文化の新しい主役として席を占めていきつつある。
しかし、韓中日3国をはじめとして東アジアには、20世紀の否定的な影がまだ濃厚に落とされている。協力と平和共存よりは、体制競争、歴史わい曲、核を含んだ軍事力増強、領土紛争など緊張と葛藤関係が、より一層浮び上がっている状況だ。
これに、韓国と日本の市民社会は、過去の歴史についての反省と謝罪、許しと和解を成し遂げ、このような緊張関係を克服し、共生と平和の21世紀、すなわち新しい100年を模索してきた。そうした努力の一つとして、2008年10月日本での「『韓国併合』100年市民ネットワークと、2009年4月韓国での「韓日100年平和市民ネットワーク」を各々組織し、相互に活動してきた。特に、2010年8月14-29日、日本の市民たちは「平和通信使実行委員会」という名前で、韓日100年平和市民ネットワークと共に、韓国23ヶ所の地域を巡礼し、過去歴史の痛みについての謝罪と和解、そして未来の平和を共に考える時間を持った。そのような同行過程は、韓国民としても自己反省の過程だった。
「平和通信使」は壬辰朝日戦争(文禄・慶長の役)以後、1617年朝鮮通信使が日本を訪問して以来、2百年の間両国の間に多様な交流と平和と安定を謳歌したという点に着眼し、日本で組織された。この平和通信使を通じて、21世紀には両国の間に平和を実現しようという、市民たちの願いが込められているのだ。今年は、韓国の100年平和市民ネットワークから「平和通信使」として、大阪、京都、金沢、富山、長野など日本の様々な地域を訪問し、市民に会って交流しようと思う。2千年以上継続してきた、韓(朝鮮)半島と日本列島の関係史を共有し、特に近代の歴史現場と日本社会を理解しようと思う。さらに、気候変化と環境問題、福島以後の脱原子力発電所運動、共生的協同社会の摸索など、数多くの共同の諸課題について対話しようと思う。地域市民社会の草の根交流を通した相互理解を土台に、共同の責任と役割摸索、東アジア人さらには地球市民としての私たちの人生を想像して討論する時間を設けることを期待する。
この平和通信使運動は、韓日両国だけでなく中国、ロシア、ベトナムを含んだアジア全域に拡大することを希望する。すでに私たちは、去年8月15日東アジア平和の日を宣言したことがある。さらに、未来世代の青少年たちの、国際交流を通した相互理解のための努力も継続して進めている。このような過程を通じて、国益中心の競争的国家関係を越え、平和と相互理解を追求する市民たちの交流を活性化し、実質的な市民平和networkを定着させるために努力するだろう。それが、東アジアの市民社会の活性化と、平和を定着させていく意味あることであるを確信し、推進して行こうと思う。韓日市民が手を握り、新しい100年の平和な未来を共に作り出していく友人となり、韓日および東アジア市民平和運動のパートナーになることを期待する。

2011年8月 韓日100年平和市民ネットワーク平和通信使

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# by sumiyakist | 2011-08-17 14:49 | ニュース

こんなところに!

 いささか旧聞に属するけれども、このことはやはり触れておこう。
 松本龍復興大臣(当時)が宮城県庁を訪れ、村井知事に「暴言」を吐いて、そのために結局、8日間の在職で辞任することになるのは周知の通り。



 この映像(地元テレビ局1社だけが放映したらしい)がユーチューブで流れ、「書いたら終わりだからな!」と釘をさされてオフレコを守っていた大手メディアも報道せざるを得なくなった。いまは記者クラブ制度などのマスコミの批判は措いて、ごく個人的な感慨をひとつ書き留めておく。
 この映像を見て、私は、あっと声をあげた。というのも、松本龍復興大臣に随行し、神妙な顔をして横に座っている人物が、なんと岡本全勝氏だったからである。
 ネットで探してみたら 東日本大震災復興対策本部事務局次長らしい。これが出世なのかどうか、私には評価するすべもない。ただ、なんだかバツの悪そうな様子で松本龍氏に付き添っているのを見て、私は忘れかけていた旧敵を発見したような気がして驚いたのである。岡本全勝氏のことはずっと以前に書いた。追加訂正。
 その後、麻生太郎氏が総理大臣に就任すると、総理秘書官の一人に抜擢され(それ以前に麻生氏が総務相を務めていた頃に「見そめられて」いたのだろう)、活躍しすぎて「岡本総理・麻生秘書官」などと新聞に書かれたこともあった。まあ、漢字も読めない麻生氏のことだから、元受験秀才にとっては操縦するのはたやすかったのだろう。
 その麻生氏を最後に自民党政権が潰れて、民主党政権になったから、麻生氏に殉じて腹でも切ったかと思わないでもなかったが、どっこい、そのへんがわが国の官僚の真骨頂で、しっかり生き残っていたらしい。
 まあ、節操や志操を考えていたら役人はやってられない、ということだろう。
 
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# by sumiyakist | 2011-08-02 20:47 | ニュース

100000年後の安全

映画『100,000年後の安全』


 「100000年後の安全」という映画を観た。

 フィンランドで目下進行中の、使用済み核燃料を最終処分(地層処理)するための施設建設のドキュメンタリーである。岩盤をくりぬいて地下500メートルへの坑道を掘り進む工事現場(主に発破作業)と、プロジェクトの頭脳とも言うべきスタッフや研究者へのインタビューなどを交互に織り交ぜながら進行する。

 使用済み核燃料から排出される高レベル放射性廃棄物の最終処分にかんしては、アメリカ、フランスはもちろん、わが国でも実際的に取り組むことができないままで、中間貯蔵(あるいは、発電所内での一時貯蔵)の使用済み燃料が溜まり続けている。最終処分を行うものとしては、このフィンランドの施設が世界で最初のものであるという。(2020年から稼働して2100年に終了=満杯、といっていたと思う)。

 そもそもフィンランドは電力の3割近くを原発に頼る、原発推進国である。3・11以前のわが国と同じということになる。自国内でウラン燃料をほとんどまかなえるというメリットもあるから、今後も原発への依存は続くことだろう。普通に考えれば、原発を動かしている限り核廃棄物は出るのだからその処分を措置するのは当たり前のことである。フィンランドは当たり前のことを当たり前のようにやっているにすぎない。

 顧みてわが国の原子力政策が「トイレなきマンション」といわれるごとく、高レベル放射性廃棄物の最終的な処理方法も場所も決めないまま、「そのうち何とかなるだろう」的楽観主義(というより無責任な先送り主義だろう)でどんどん原発を造って運転してきたことが異常だといわねばならない。(最近では国内での処分を諦めて、アメリカと一緒になってモンゴルでの処分を考えたりしているようだ。言語道断である)。

 それにしてもフィンランドが、どうして世界初の処分場を建設することができたのだろうか。もちろん、何億年も安定的に持続している強固な地質(岩盤)や、地震の心配がないことなどにもよるだろうが、私は、この国の、社会的公正さや行政の透明性、国民の政治意識の高さといったの民主主義の成熟が根底にあるのではないかと推測する。(OECDの国際学力調査=PISAにおいて、フィンランドは常に1〜3位のトップクラスを維持していることとも関連するかもしれない。)自分たちが作り出したゴミだから自分たちで処分するのは当たり前、そういう生真面目さ、まっとうさが社会にビルトインされているのだろう。そのことはいくら評価してもしすぎることはない。

 さて、その最終処分「100000年後の安全」である。何億年も安定的に持続してきた500メートルの地下とはいえ、100年200年ではない。いや1000年ならば理解できるだろう。1万年前なら縄文時代、これも何とか想像が及ぶ。しかし、「10万年」となると想像力の彼方である。さかのぼればネアンデルタール人などの旧人の時代である。歴史的時間を越えた地質年代的時間というべきか。人類史をもう一度やり直すほどの悠久の時間である。その期間を「この下に危険物あり」という情報をどのようにして伝承する保証を得るのか? 言語=文字の有効的な伝承可能時間はどの程度なのか? 10万年後の「人類的存在」(がいたとして)とコミュニケイトするのは、宇宙人と意思疎通するより困難なのではないか。

 映画の中でもそれが重要なテーマとして関係者を悩ませている様子が示されている。「いまこうして岩盤を掘っていて、10万年前の(別の滅びてしまった「人類」が埋めた)埋蔵処理物を掘り出してしまうんじゃないかと心配だ」といった冗談が語られる場面がある。冗談と笑えないところが、まさにブラックユーモア的構造である。

 フィンランドは先に述べたように最も近代的な民主主義国家のひとつであろう。(私は、アメリカ民主主義やイギリスのそれよりも、北欧において最も進んだ近代的な民主主義社会が実現されていると考える。そのひとつであるノルウェイで先頃のようなすさまじいテロ事件が起きるというのは深刻なテーマであるが、いまはそれに立ち入らない)。

 であればこそ、自分たちの出したゴミは自分たちで処分すべきだと、近代人(思想)として最も正当な近代的方法でこの処分場=オンカロを建設した。しかし、そのタイムスパンたるや「10万年!」。近代思想、その現実態のひとつたる近代科学技術、は、人類史的タイムスパンにまで関与する「資格」があるのだろうか? もう一つの人類史が始まるほどの時間をわがものとして使う権利があるのだろうか? 

 原発を動かすということは、現在地球上に住む人間、自分の子や孫、あるいは数世代あとの人間に対して責任を負うというだけでなく、そういう人類史的な問いに正面から答えなければならないことでもある。
 
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# by sumiyakist | 2011-07-31 22:39 | その他

刈り取り終了

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 11月1日、昨日までの作業でほとんど刈り終えて、カメラ位置の背後に少し残すだけになった。昼からは天候が大荒れとの予報。それまでに早く刈り取ってしまおうと、一人でツカダにやってきた。
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 ちょうど昼頃には全部刈り取り束ね作業を終える。ハサに掛けるのは(暴風雨を避けて)後日にして、差し当たりブルーシートに包んでおく。昨日までハサに掛けた部分にはビニールで雨よけをしておく。
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 福井・石川・富山のイノシシ被害が拡大しているとの新聞報道が今朝の朝日(富山版)に出ていた。富山では毎年3倍のペースで被害額が増えているとのこと。(スキャナー読み取りを省略略、デジカメ画像を載せた)。
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# by sumiyakist | 2009-11-01 20:48 | 自然と暮らし

ソバの収穫

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今日10月28日のツカダの様子。ほとんどが台風で倒されたままながら、ソバの実は熟して黒褐色になってきた。種まきからちょうど60日である。
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c0068917_2144553.jpg 実はこういう状態である。実は、最初は白いのだが、熟してくると次第に茶色から黒っぽくなる。まだ白い花を付けている枝もあるし、熟してこぼれ落ちる実もある。全部の実が一斉に熟してゆくことはない。
 ソバの刈り時については、「ハエが3匹止まったら刈れ」という言葉を聞いたことがある。一面に白い実(まだ花も咲いている)のついた状態から黒い実が3粒(ハエが3匹)でも見えたら刈れという意味である。いくらなんでもそれでは早すぎるのだが、熟しすぎて刈る時期が遅れると実がポロポロこぼれて収穫出来なくなることを戒めていう格言らしい。

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 ソバを手刈りして乾燥させるのにはちょっとしたコツがある。一握りほどずつをいったん束ねて(左)、さらにその2束を併せて、先の部分を折り込んで結束する。こうすると熟した実がこぼれ落ちるのを防ぐことができるわけである。本来は稲ワラで結ぶが、今回はバインダーのヒモ(麻ヒモ)を短く切って使う。
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 結んだ束を竹のハサに掛ける。こうして天日乾燥させる。稲作をやっていると、ちょうど稲の脱穀が終わってハサが空いたあとにソバを掛けることになる。(その後にはアズキということになる。)
c0068917_22182331.jpg 横にはひと群れのノコンギクが風に揺れていた。秋は急速に深まってゆく。 

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 ところで上の写真はなんだろうか? これはイノシシが牙で地面を掘り返した跡に違いないと思っている。ソバの種を蒔いた残りの一部にあか株の種を蒔いておいたのであるが、とりわけそのあたりがひどく掘り返されている。あか株もさることながら、地下に埋まっているクズの根を掘り起こしているのではないかと推測できる。
 そもそも、雪深い地方ではイノシシは生息できないというのが定説で、じっさい、当地ではこれまでイノシシによる獣害は聞いたことがなかった。温暖化と少雪によってイノシシの生息域が北上していると情報はあったが、こんなにも早く到来しようとは! 近在の村でもサツマイモをはじめ、イノシシによると思われる被害の話を聞くようになった。ハクビシンに加えて手強い害獣の参入である。
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# by sumiyakist | 2009-10-28 22:43 | 自然と暮らし

不二越女子挺身隊訴訟

 朝鮮女子勤労挺身隊という言葉をご存じだろうか? 第二次大戦末期に国内の労働力不足を補うために、植民地だった朝鮮半島から小学校を終えたばかりの少女たちを、「上の学校に行ける」「お茶やお花を習わせて貰える」「ごはんが腹一杯食べられる」などと、騙すようにして「内地」へ連れてきたのである。富山市にいまもある不二越という軍需工場にも1800人を越えるの朝鮮の少女たちが連れて来られたという。少女たちは寄宿舎に閉じこめられ工場では成人男性の職人の替わりに旋盤などの機械を使って作業させられた。
 敗戦前後、彼女らは郷里へ送り返され、補償どころか給与さえ支払われなかった。「挺身隊」という言葉から軍隊慰安婦と同一視される誤解もあって、過去を明かすことさえ出来ずに来た人も多い。
 その何人かが不二越を相手取って謝罪と補償を求めて提訴しているのが、「不二越強制連行・強制労働訴訟」である。委細は不二越訴訟を支援する北陸連絡会HPにある。

c0068917_21172148.jpg 少し前のことになるが、その第2次訴訟が10月5日に結審(控訴審・名古屋高裁金沢支部)した翌日、韓国から来た5人の原告が不二越の社長との面会を求めて富山市の本社工場へ出向いた。
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c0068917_2115347.jpg 不二越は本社入り口を封鎖し、鉄のフェンスを張り巡らせて厳重なバリケードで原告団と支援者の隊列を迎えたが、隊列はあっという間にバリケードを突破、屈強な10人ほどの警備の社員を押し返して正門前で集会を開いた。
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 原告のハルモニたちは次々とマイクを取って、いたいけな少女を不二越はどのように酷使し、賃金も払わずに送り返したかなどを語り、給与の支払いと謝罪・補償を求めて社長・会長の井村健輔氏との面会を要求した。支援者は県内だけでなく、福井、大阪や名古屋などからも参加者がある。(名古屋ではやはり三菱重工を相手にした訴訟があった。)マイクで訴えているのは原告の一人、ユ チャンイさん。
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c0068917_21323577.jpg  不二越側は面会要求に応じず、警察を呼んだ。しかし、原告と支援者はお構いなしに正門前を占拠し、終日座り込んだ。
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# by sumiyakist | 2009-10-12 21:40 | 裁判批判

台風被害

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 台風が遠く離れて行った10月9日の午前のツカダの様子である。
 当地は台風の直撃を受けたわけではないが、雨風の相当強い時間帯があった。畑の豆には支柱を追加したりして、それなりの対策をしたが(それも結局は役に立たなかったけれど)、ソバには対策の施しようもないからなにもせずに放置した。
 この場所は陽当たり風通しとも良好なので、30メートル/秒を超える風速があったというから、かなりダメージを受けたようだ。

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 ソバという作物は根が浅く弱い。場所によってはこんなふうに風で引き抜かれた株もあちこちに見える。植え直すことも出来ないが、目についたものは土に埋め戻してやる。

c0068917_10104184.jpg ソバは、花を咲かせながら同時に結実してゆく。三角に見えるのが実である。これが熟すと黒くなり、自然に落ちてしまう。まだ未熟の段階だから、風にあおられても落ちない時期だったのは幸いであった。



c0068917_10193512.jpg こちらは直ぐ近くの野草、ミゾソバ。背も高くないし、根もしっかりしているから、びくともしていない。平気な顔できれいな花を咲かせている。「ソバ」の名は付いているが、実がどんなものか、気をつけて見たことはない。

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# by sumiyakist | 2009-10-10 10:27 | 自然と暮らし

ソバの花

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 昨日(9月24日)のツカダの様子である。ソバの種を蒔いたのが8月28日だから、もう1ヶ月近くになる。草丈も伸びて、ようやく花が咲き始めた。急なことだったので種を2キロしか確保できず、復旧した面積の全部には蒔けなかったが、手作業でする刈り取りのことを考えて、スジ蒔きにしておいたのは正解だった。
 秋が深まった時期になってから、こうして一面に花が咲く情景を見るとそれなりに爽快な気持ちになる。

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 ソバの花をアップで撮った。清楚・可憐といった表現がぴったりの花である。
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# by sumiyakist | 2009-09-25 20:53 | 自然と暮らし